北方町役場 〒501-0492 岐阜県本巣郡北方町長谷川1丁目1番地 TEL:058-323-1111(代)
背景色変更ボックス
サイトマップ
お問い合わせはこちらから
町長の部屋
町長随感(平成27年4月~)

平成28年1月

今や携帯電話は生活必需品となりました。メカ音痴の私でさえスマホが手放せません。
バスや電車の乗り物も医院の待合室も町中で出会う人も、時には運転中の人までも携帯電話をかけたり覗いたりしています。
しかし、本当に必要なことや要件での使用でしょうか?
傍迷惑や危険性を考えると携帯電話やメール、パソコンとの付きあい方(ルール)が必要です。
暇つぶしにかけた電話で無駄話をするだけの人間関係は寂しく侘し過ぎます。
人と人とのつながりを携帯電話やメールに頼りすぎると、時として見誤るリスクも覚悟しなければなりません。

「一通の手紙には、十通の電話に勝る優しさがある」と言ったのは作家の渡辺淳一さんでした。
今年は、一通でも多くの手紙を書こうと思います。

平成27年12月

自動車エアバックの欠陥。免震ゴムの性能虚偽。杭打ちデータ改ざんなど大手企業の不祥事が後を断ちません。
しかも、何れの事件も時間の経過とともに計画的で企業ぐるみの確信犯であることが明らかになり驚かされます。
「経済至上主義」「拝金主義」の行き着く先がこの体たらくです。
経済さえよければ、お金さえあれば、何でもできるという考えが日本中を支配しているようで耐えられません。
更には、厳粛であるべき教科書検定に影響力を持つ公立学校長が教科書発行会社からビールやワインの提供を受け、あまつさえ現金まで無心する姿を知るにつけ、子ども達に「正しく生きよ!」と教える資格が彼らにあるのか、と思ってしまいます。目に見えるものにだけ価値を認め、それを手に入れるお金だけが大事という社会が健全であろう筈がありません。

平成27年11月

シルバーウィーク、唯一の休暇日となった9月22日。奈良博物館開館120年記念特別展「白鳳」展に出掛けました。
9時過ぎというのに町中は観光客で溢れ、駐車場のすべてが満車で一時間余りウロウロしましたがイライラは募るばかり、焦る気持ちを静めようと喧騒を離れた喜光寺で写経をさせてもらいました。
喜光寺の本堂は東大寺造営の参考とされ「試みの大仏殿」と言われる荘厳さです。一時は床も抜け落ちるほどの荒廃ぶりでしたが、平成22年、根尾村出身の薬師寺管長山田法胤師が再興された行基菩薩創建の古刹です。
博物館の展示仏は像高20~40cmの細身で小振りな金銅仏が多いのは、個人の礼拝対象であったのだろうか?この習慣が、やがて歴代天皇が引き継ぎながら薬師寺など本格的寺院の造立に結び付いたのか?と、閉館時間まで祈りの廻廊を巡るときめきは続きました。

平成27年10月

縄文人は、狩猟・漁労採集の生活でした。弥生人が食糧貯蔵の出来る穀物採集を生み出し、稲作農業が普及しました。その後弥生人は平地の森を削って田として開拓していきました。自然破壊の歴史の始まりです。
自然の営みは、森の落ち葉が土をつくり、土が綺麗な水をつくり、水が川となり海に流れて魚介類を育てるという循環です。森・土・水の三位一体の姿です。自然回帰のために県が進める清流の国づくりの要諦でもありましょう。
全国育樹祭〈10月11日〉のサテライト事業として開催した「北方環境フェア」(9月5日)は1000人超の人が集う場所となりました。岐阜高専、岐農高、岐阜総合高のみなさんや多くの企業の協力が原動力になりました。
森羅万象のすべてが生きていて、小さな争いの中でも慈悲の心を持っている自然界の法則を今の政治は学ばなければなりません。

平成27年9月

第4回「平和・人権祈念講演会」が8月7日開かれました。
この催しは、平成23年に本町が「非核平和都市宣言」をしたのを機に平成24年から開催される町主催の重要な行事の一つです。
今回までにお招きした講師は、木戸季市岐阜聖徳短大名誉教授、長崎原爆被爆者小峰秀孝氏、福島県南相馬市長桜井勝延氏、静岡県湖西市長三上元氏の各氏です。
講演会から4日後、九州電力川内原発が再稼働されました。
原発推進の金看板であった「安全・廉価・環境保全」が嘘八百であったことは三上市長の講演でも明らかな通りです。
最近も「集団的自衛権」を「積極的平和主義」に「戦争法案」を「平和安全法制」と言い換えて憲法に違反する法律を次々と作る手法は、事実上ヴァイマル憲法を抹殺したヒットラーの手法と原発のウソを彷彿とさせ、鳥肌の立つ思いです。

平成27年8月

夏が来れば思い出す…という童謡がありますが―(江間章子詞・『夏の思い出』)私的(わたくしてき)に思い出すのは八月十五日の盂蘭盆(うらぼん)と終戦記念日です。お盆の由来は目連尊者が地獄に落ちた母を救うために供え物を盆器に盛って供養したことから今では夏の風物詩的行事になりました。終戦記念日は言うまでもなく不再戦を誓う日です。
ところで、最近の政情はキナ臭さを増していますが我が国は七十年間も戦争をせず武力で人を殺しませんでした。また自衛隊という強力な装備を持つ軍隊が「戦争の出来ない軍隊」であり続けるのは「憲法九条」が歯止めになっているからです。
憲法学者樋口陽一氏は「生活に対する脅威は戦争と原発だ」と言われています。蓋(けだ)し至言(しげん)です。
北方町では、今年も「平和祈念講演会」を八月七日(金)午後一時三十分からきらりホールで開催します。講師は静岡県湖西市長三上元さんです。乞、ご来聴を!

平成27年7月

この国の民主主義はどうなってしまったのか?と不安に駆られます。
「辺野古基地建設」で沖縄は知事を先頭に島ぐるみの戦いになっています。「原発再稼働」も六割以上が反対です。
「安保法案」に至っては、学者・文化人・日弁連・宗教家・砂川事件の元被告人と各界各層から「反対の叫び」が、燎原の火の如く広がりを見せています。
六月十八日夜、議事堂前での抗議集会に病身を押して参加した九十三歳の瀬戸内寂聴さんは「良い戦争は絶対ない。すべて人殺しだ」と訴えられました。
しかし、政府・与党はこうした民意にふり向いてもくれません。「武力で平和は守れない!」ことを私たちは先の大戦で学んだはずです。
〝過去に目を閉ざす者は、未来にも盲目になる〟ワイツゼッカーの言葉が重く響きます。「総理!未来が見えますか?」

平成27年6月

日経新聞が人口千人当たりの小児科、産科・産婦人科医師数、合計特殊出生率、人口増減率などの順位を合算して「子育てをしやすいまち」ベスト20を発表しました(二月二十七日)。
それによると北方町は全国七位に評価されました。この調査は、医療・教育の充実した住みやすさを客観的なデータで全国の市町村を比べたものです。
因みに岐阜県では唯一、本町のみがその名を刻みました。都市は、面積や人口の大小によって価値が評価されるものではないことが判ります。便利で効率的でも隣近所との付き合いが遮断され、寒々とした高層マンションの一室がプライベートスペースという都会砂漠の生活が「家族で暮らすに相応しいまち」である筈がありません。
河川緑地の保全と河川沿いの公園化や既存の公園と街路を緑の回廊で結ぶ事業は、公共空間を有効利用して人間性の回復と生きる意味を知る場となる「人間都市」「公園都市」が私の目指す街の姿です。

平成27年5月

新年度と共に北方の学校に総勢35人の先生をお迎えすることが出来ました。その内20代の先生が57%を数えます。
着任式での抱負を聴きながら教育に懸ける若い先生方が子ども達にいかに教え、何を学ばせていくか、学習指導や授業づくりの力量を磨いて欲しいと思いました。
義務教育とは、子どもの教育を受ける権利(学習権)と親には教育権、教育責任が伴います。
しかし、教育の全部を親が担うことはできませんから専門家としての教師と学校に教育権と教育責任を委ねるのです。従って、先生にも専門的な力量と親と同様な愛情がなくてはなりません。
だからと言って先生が全部責任を負えるものでもありませんから、何でも全部学校の責任と考えるのは間違いです。
教育環境をつくるのは行政の仕事ですから一生懸命やります。しかし、中身については親と先生が責任を持って欲しいと思います。

平成27年4月

小さなまちの大きな学校として親しまれ存在感のある岐阜農林高校の卒業式に今年もお招きをいただきました。
岐阜市加納から本町の強い誘致運動により現在地に移転が決まったのは昭和七年でした。
ところが、町当局は一部町民の反対運動に加え、移転費用(負担額)の調達に悩むこととなり数度にわたりその軽減を嘆願したそうです。
現在の町民の同校に対する思い入れの深さと愛着はこうした経過からでもありましょう。
専門高校としての同校は土曜塾でのアイスクリームづくりや河川での生き物観察、田んぼアートの実測作業、更にはきらりホールにおける演劇活動などで子どもたちに接し、勉学以外の分野で地域に貢献し社会人としての基本を身につけてくれました。総勢275人の卒業生にはこうした貴重な経験を生かして実社会でのスペシャリストを目指して欲しいと思います。

町長随感(平成26年4月~)

平成27年3月

星座の観察は、夏の風物詩と思い勝ちですが土曜北方塾「冬の星空観察」に出かけて少し認識を改めました。
一月十七日は、大寒直前で冷え込みも一段と厳しい日でしたが百四十名余りの親子が参加してくれました。先生役の、岐阜東天文同好会天求会の人達が其々に大きな天体望遠鏡や双眼鏡を持ち込んで星の講座の始まりです。
「火星が見えた!」「木星だ!」という歓声と共に「カペラ」「シリウス」などと専門的名称が冷え込みの増す南小学校の校庭に飛び交うのを聴きながら、学校の授業以外の様々な分野や領域で子どもたちと接して子どもたちの全体的な成長に責任を負おうとする教育委員会の取り組みに至高の価値を見る思いでした。
土曜北方塾を通して子ども達が思い出を沢山つくり学びの大切さを知るきっかけになれば、学校も生き生きとするに違いありません。

平成27年2月

総選挙が終わったのと機を一にするように原発再稼働の動きがかまびすしくなりました。
昨年五月、福井地裁は大飯原発再稼働ノーの判決を出しました。その理由は明快で「一経済活動である原発稼働より、命が守られる権利が優先する」とした上で、関電の主張である「電力供給の安定性、コスト安価」についても「人の生存と価格の高低を問題視することの間違い」を諭(さと)し「法的にも許されない」と断じたのでした。
我が国は原子力による大きな被害を広島と長崎への原爆投下と福島原発事故で三度も経験したのに、政治・行政と大企業の対応は経済と企業の利益に価値観をおき人の命と人格を疎外して平然とする姿は横道跋扈(おうどうばっこ)という以外、私には適当な言葉が浮かびません。
「この道しかない!」と視野を狭窄(きょうさく)する愚かさに気付いて、ここは仏教の教えに従い「止観(しかん)」して考える智慧が欲しいと思います。

平成27年1月

「門松は冥土(めいど)の旅の一里塚」
新年早々に縁起でもないと言われそうで申し訳ありません。
生まれることは人生の出発点。死というのは最後の終着点です。
死という厳然たる事実に、私たちは今日を生きているのです。
この齢(とし)になると「死」を見つめた「生」にこそ本当に深い人間の生き方があるように思います。
昨年十一月、菅原文太さんが亡くなられました。
菅原さんは、自然や平和に関心が深く、東京都知事・福島県知事選挙で脱原発候補の応援を、沖縄県知事選挙では、米軍基地の辺野古移設反対候補の応援に奔走されました。文太さんには、この世に魂魄(こんぱく)を留め、原発の危険性と経済の重要性を天秤にかけて二者択一の選択を迫る国のあり方を弾劾(だんがい)して欲しいと祈りたい気落ちです。
年の始め、お金よりも経済よりももっと大事な「命」と「心」について真剣に考えたいと思います。

平成26年12月

三月完成を目指して河川平和公園(総面積 10,900㎡)の整備が急ピッチで進んでいます。
十一月初め糸貫川に魚の棲家とする木工沈床の設置と浚渫のために水流を締め切る工事をしました。
それに合わせて岐阜土木事務所の協力で北方西小四年生と岐阜農林高校環境科学科のみなさんが魚類の保護と河川環境調査をしてくれました。その結果、水質の良好さが証明されました。
この公園の特徴は緑と清流への憧憬(しょうけい)と親水空間確保を主眼にして生きた緑、生きた自然を確保し、生きとし生けるものの生存環境(共生(ともいき))の確保を狙いとしています。
園内には、せせらぎに小水力発電施設。広島・長崎から譲り受けた被爆二世の青桐と楠の木を植えて〝平和の鐘〟と共に「公園都市」のモニュメントを演出します。
ホンモノの「緑と水の公園」は清流を守る。生かす。伝えることで完成します。

平成26年11月

岐阜県警では平成十七年から「居住地別交通事故加害者率(人口千人当)」なる統計があります。
何と本町は、調査開始以降平成二十五年までの期間(二十三年を除く)一貫してワーストワンの記録をキープしています。勤勉で実直な町民性を誇りとしてきただけに思いもよらない現象に些か落胆の態です。
この不名誉な記録返上を目指して、例年の交通法令講習会を「ワーストワン返上法令講習会」として開催しました(十月二日・三日)。当日は、卓越した演技力で定評の岐阜農林高校演劇部が交通安全啓発の寸劇を買って出てくれました。
昔から「衣食礼節」と言います。
つまり環境が豊かだと人間は自然と他者にやさしくなれるという意味ですが、「公園都市」の住環境と「緑」で繋がる「人間都市」で他者への思いやりを身につけ、ワースト記録を返上しましょう。

平成26年10月

 今年の四月から公益財団法人オイスカ本巣推進協議会の名ばかり会長に就任しました。
その初仕事が九月五日にオイスカ「子供の森親善大使」をこの地に迎えることでした。
お客様は、タイの中学生二人とスリランカの小中学生各一人の他、随行者含む十人です。
 北方小学校の児童との交流会が始まりました。自己紹介の後、質問タイムや折り紙で懇親が深まり給食を一緒するなどして定められた二時間がアッと言う間に過ぎました。北方町の印象を尋ねると「緑が多い」「町がきれい」と答えてくれましたが、「公園都市」「人間都市」のまちづくりが緒に就いたばかりの我が町に敏感な反応を示すこの子たちの住む国土の荒廃ぶりが気にかかります。
 人は誰もが緑との間にしみじみとした付き合いを求めていることを実感したひと時でした。

平成26年9月

映画「GODZILLA」を見ました。
子どもの頃からゴジラファンである私にとって、ハリウッド映画二作目の封切りは待ち遠しい限りでした。一人で見ることの照れ隠しに夏休みで遊びに来ている孫を甘い言葉で籠絡?して出かけました。
 ゴジラはモンスター映画との認識が一般的ですが、1954年の第一作から原子力の申し子という設定です。今回の作品は一層反原子力がテーマになっています。ストーリーが日本で始まるスタートは福島・広島・長崎を比喩するに充分でした。
 人間が、このまま原子力というとてつもない危険な道具に溺れて元に戻れない状態になった事態に気付かされるテーマをこの映画は持っているように感じました。
 ラストシーンでゴジラが海に帰る姿は、またいつの日か彼に会える余韻を持たせてくれます。

平成26年8月

 「何か変!」「チョッとおかしい」と思っているうちに特別秘密保護法が成立し、集団的自衛権が閣議決定する。無力な国会に慷慨(こうがい)する人も多いと思います。
 太平洋戦争は、小さな満州事変が切っ掛けでした。それから十四年後の八月。広島・長崎の原爆投下まで愚かな戦争は続きました。
「戦争は始まってからでは止められない。始まりそうな時でも駄目、始まりそうな気配が出そうな時に止めないといけない」俳優小沢昭一さんの言葉です。
 “ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ”与謝野晶子の長い詩は続きます。“すめらみこと(天皇)は戰ひにおほみづからは出でまさね”日露戦争に駆り出された弟への晶子の歎きと戦争首謀者への憤りが胸を打ちます。
 「有事には賛成者だけ行ってきて」中日新聞へ寄せられた川柳の一句です。

平成26年7月

 毎日の自転車通勤で出会う人には出来る限り挨拶をします。
先日も帰宅時に畑作業中の人に「こんにちは」と言って通り過ぎると「町長!」と呼び止められました。「何かのお小言か?」と恐る恐るブレーキをかけると「これ、持ってきんさい」と収穫中の玉ねぎを前籠に入れてくださいました。
 掃除や洗濯物干し、花壇の世話、犬の散歩など慌ただしい朝のひと時。顔を合わせる人々から、挨拶代わりに「頑張って」「気をつけて」「行ってらっしゃい」などの言葉をいただきます。思わず「有難うございます」と感謝の念が溢れます。仏教に「無財の七施」という言葉があります。お金や品物でなくても無財でも七つのお布施が出来るという教えです。七つとは、眼・顔・言葉・身・心・床(席)・房(部屋)です。
 優しい眼、顔、言葉の「施し」を受けて元気をいただく毎日です。

平成26年6月

 4月末、中部電力岐阜営業所長様が5月から電気料を平均3.77%(規制部門)と7.21%(自由化部門)値上げする説明に態々お越し下さいました。
 流暢(りゅうちょう)な説明によると火力燃料費の増加を理由に経産省への認可申請はそれぞれ4.95%と8.44%だったとのことでした。
 減額認可された料金でも浜岡原発の再稼働なしで120億円の黒字化が成るのなら、認可申請は水増しであったのかとの疑念が拭(ぬぐ)えません。仮に原発再稼働となれば1,000億円以上に黒字が膨らむことになり、営業所長様の抑揚(よくよう)のない長広舌な説明の理論的根拠が失われます。料金値上げは疎(おろ)か値下げ議論が必要だと思うのはゲスの勘繰りでしょうか。
 記者会見で「経営基盤を堅固にするために浜岡原発の再稼働は、不可欠!」と力む社長の姿に、むき出しの商業主義を見ました。

平成26年5月

 最近は就職説明会にあたって、大手企業が大学名を選考の材料にする傾向が広がっているといいます。「学歴フィルター」と言うのだそうです。
 現代社会では、高学歴がそのまま将来を約束される道に繋がっていないことは証明済みだと思いますが、再び学歴志向に回帰傾向を強めているのでしょうか。
いわんや企業が説明会の段階から大学名で差別するなどは大いに疑問です。私は、学力というものを否定する訳ではありませんが、ちょっと覚えた知識などというものはあまり役に立たないことを毎日の仕事を通じて経験的に感じています。個々の知識より人間的な、全体的な智慧をどう養うか、「知識より智慧」です。これが能力というものの根幹に関わるのではないかと思います。
 人間としての生き方と、学歴は直接的な繋がりはありません。

平成26年4月

 2月26日。職員の防災研修会を開き、岐阜大学の髙木朗義教授から防災講義を受けました。
 我が国は、世界の大地震の2割が集中する地震国だと言われていますからこれからも大規模な地震の発生が想定されます。今後30年以内の発生確率は、東海地震88%、東南海地震70%、南海地震60%程度と言われています。
 しかし、私達は自分に都合の悪い情報を過小評価する正常化の偏見(バイアス)がある。正常から異常へのスイッチを入れるために専門家のアドバイス、情報伝達の工夫や住民とのコミュニケーションの必要を説かれました。
 そして、「自分と家族の命が守れなければ、役場の業務が出来ない」と自主防災訓練の必要を強調されました。防災は『総論賛成・各論賛成・実行不履行』が常だとも・・・。
 庁内の機構改革を含む防災体制強化の緊急性を痛感しました。

町長随感(平成25年4月~)

平成26年3月

 今年の成人式の雰囲気は些か様子が違いました。
 赤・青・黄色の袴姿の一団の他に縫いぐるみのマスクを被った二人組みが陣取る最前列。
成人式の主旨は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます儀式(式典)」です。
自ずから出席する身だしなみ、居住まいがある筈です。行儀作法(道徳心)です。「ヒトは恥を知らないと限りなく野生化する」とは宗教学者山折哲雄氏の弁です。哲学者梅原猛氏は「道徳の源は家庭にあり」と家庭教育の重要性に言及されています。
 報道によれば、富士宮市で会場に模造刀を持ち込んで逮捕されたり、大阪市で、拡声器を持って騒ぎ立てたグループが退場させられたりしました。
 一人前の社会人になれない一部の愚か者の野生化に我々大人たちはどう向き合うべきなのでしょうか。

平成26年2月

 ここ数年来、私の初詣では地元の八幡神社、大井神社、円鏡寺と回り、実家のご本尊、先祖の墓で手を合わせて終わりです。
すっかり定番化したコースです。
 今年もそんな梯子詣でをしながら考えました。生まれた時は「お宮参り」結婚式は「神社や教会」初詣は「寺院と神社」葬式は「仏教寺院」でというように色々な宗教が混在して信仰されています。
 古代より日本では、自然の中に神の存在を見出して来ました。
六世紀頃に大陸から仏教が伝来すると、神々への信仰が国家仏教の中に組み入れられ「神仏習合」となって今日に至っています。
 何んと日本の仏教と神道は、優雅で大らかな宗教なのでしょう。
偏らない、こだわらない中道の教えこそ仏教の真髄だと思います。
極端に走らず、本質を大事にしながらすべてを受け入れる多神教の思想が日本人に合うのでしょう。

平成26年1月

 「ぎふ少子化対策県民連携会議」が開かれ、岐阜県少子化対策基本計画などが話し合われました。
 出席した私には、結局、市町村に子育て支援サービスと責任を負わせるものと映りました。
 経済成長は、GDPでは得るものがあっても目に見えない色々なコストがかかる。川が濁り、緑が減り、人の心も冷たくなる。こうした目に見えないコストを、どう経済の仕組みの中に反映させていくかの言わば「近代化の代償」とでも言ったものがあるのでは…と思うのです。例えば、核家族化や夫婦共働きが当り前の生活形態には保育所コストが生じます。
 核家族化がいけないと言うのではなく、このコストを個人や自治体だけが背負い込むのでは困ります。企業を含む全体で合理的に再分配し、負担し合うという新しいシステムづくりの視点がこの計画には欠けているようです。

平成25年12月

 10・11月と結婚式に招かれる機会が多くありました。
 若い男女が自由に付き合い、恋愛し、結婚できることの平和な良き時代を嬉しく思います。二人の幸せを願わずには居られません。
 「愛」には二種類あると言います。「渇愛(かつあい)」と「慈愛」です。
 前者は自分が愛した分の倍返しの愛を求める無限の愛で、こういう愛し方は自己愛という欲望に過ぎず本当の愛ではありません。
 後者は与えるだけでお返しを求めない愛です。恋愛中の「愛して欲しい」「愛して欲しい」という「渇愛」から、結婚後はお互い「慈悲の心」に満ちた「慈愛」に変換しないと結婚生活は長続きしません。
 若い二人が、限りない「慈(いつく)しみ」の心で苦しみ悲しみを分かち合い、これからの人生を豊かに生きて欲しいと何れの披露宴会場でも同じ祝辞を繰り返し、前途をお祝いしました。

平成25年11月

 「北方の歴史と文化を学ぶ会」 失礼ながら些か長たらしい名称の団体の活動が、いま、異彩を放って注目されています。
 3年前「北方の歴史と文化」という小冊子を発行したのを皮切りに毎年3~4回、本町にゆかりある先生を招へいして講演会が開かれています。
 その顔ぶれは歌人、着物研究家、柔道家、大学教授、歴史家など多士済々で其々(それぞれ)の講師が北方町に関係する話題を取り上げてお話をされます。
 内容の親近感故か、毎回百人前後の参加で会場があふれます。
 9月の講演は、宗慶古墳の埋葬者の謎に迫る話と生津の内宮・外宮と伊勢神宮の関係など豊富な研究資料を丹念にひもどく内容は、ロマンと想像力を掻きたてて好評でした。同会の活動に魅了されながら、経済万能から文化の時代へと住民意識の流れを感じます。

平成25年10月

 九月初め、岐阜県県土整備部と北方町住民のみなさんで「魅力ある地域づくりに向けた意見交換会」が開かれました。テーマは「川づくりとまちづくりの連携」でした。
 時あたかも本町では「公園都市」「人間都市」をまちづくりの目標に掲げ、高屋西部地区に「河川平和公園」(9100㎡)を建設予定でありますので9人の住民代表からは其々(それぞれ)の思いが発表されました。
 要約すると人工本位、施設本位ではなく、自然本位の利用空間としての公園像を期待されているように伺いました。
 河川空間を取り入れることで学校教育、郷土教育、地域行事に利用され、植樹予定の広島・長崎の被爆二世樹青桐と楠の木の木陰に集う人々が「お金より命が大事」「戦争より平和が大事」という人間としての原点を共有できれば、緑と川の自然色と人と命の人工色の風景は不可分となりましょう。

平成25年9月

 持ち前の無精に多忙が重なって久方ぶりの墓参りになりました。
生家の後を継ぐ弟の住職との雑談の話題が「死生観」に及びました。
 あの世はあるか?人は死ぬとどうなるか?霊魂は?など生き方、死に方について往きつ戻りつ談論風発して時が経ちました。
 帰り間際、住職が発した言葉が印象に残ります。
 「この世には悩み苦しむ人が大勢いる。その人たちの救済が何より大事であって、あの世の議論をしても役に立たない。そんなことを思い煩ってはいけない、とお釈迦様はおっしゃっている」仏教の言葉でこれを「無記(むき)」というのだそうです。
 邪鬼(じゃき)で邪見(じゃけん)な私は、極楽という穏やかなところで惚(ぼ)けて暮らすより、地獄で刺激を受けて暮らす方がいいかもと思うと握るハンドルも何故か軽やかになりました。

平成25年8月

 八月六日と九日は広島市と長崎市に原爆が投下された日です。
 広島型原爆はウラン二三五で長崎は、プルトニウム二三九でした。
 物理学者アインシュタインは、時の大統領ルーズベルトに原爆製造を進言し、ルーズベルトはオッペンハイマーをその製造責任者に任命しました。広島、長崎の恐るべき原爆被害者の有り様を見て二人の科学者は良心の呵責を感じることはなかったのでしょうか?
 いま、日本には原発から排出されたプルトニウムが四十四・三トンあります。この数量で核兵器一万発が造れると言います。今や日本は潜在的な核兵器保有国です。
 八月八日。被爆者小峰秀孝さんを長崎からお招きして第二回平和記念講演会を開きます。《乞、ご来聴》「殺すな!殺させるな!」命は繋がって尊いものです。非核平和都市北方町からの発信です。

平成25年7月

 「人の噂も七十五日」という諺があります。
 ついこの間まで乱れ飛んだ謙虚さなき暴言妄言もそろそろ忘れられる頃でしょうか?
 憲法を守る義務が課せられている首相が憲法九条改悪を見据えた発言を繰り返す。
 自分の出自に触れた週刊誌の差別記事とは激しく闘いながら「従軍慰安婦は必要だった」「風俗業の活用を!」(沖縄米軍基地で)などと女性軽視と沖縄差別の発言をして、得々とする政党代表兼首長。
 いつの日からこの国のリーダー達の発する言葉がこんなに品なく危ういものとなったのでしょうか。「俺が、俺が、」と目立ちたがり、自分の影響力を誇示する指導者の言動を見聞しながら、正しい思想と正しい言動を持つことの大切さを思います。やがて選挙。七十五日を過ぎても、私は忘れない!

平成25年6月

 「チーム北方で頑張ろう」と訓示で呼びかけたのは四月一日。
  時期(とき)を経ず二、三の課で朝礼が始まりました。スローガンの唱和や、昨日の反省、今日の目標など就業前のウォームアップが数分続きます。別法では「北方町公園都市勉強会」と、「北方町庁舎建設事業プロジェクトチーム」が相次いで発足し、既設の「まちづくりビジョン策定委員会」と共に中堅・若手職員がリードしてフル回転を始めました。
  私は若い人たちの自主的な活動に希望を寄せ、信頼をおきます。職員の共同活動が民主的な職場の基盤だからです。彼らが、論争の技術、討論の技術を磨き、議論の中に含まれている発展性に気づき、相手の提案した良い部分を包み込み、更に優れた案を出せる能力を培って欲しいと思います。
  「チーム北方」の順調な滑り出しに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の日々です。
 

平成25年5月

 日本の自然美を石と白砂で盆上に表現する盆石展の鑑賞に名古屋の百貨店に出かけた道中すがらです。北方バスターミナルからの車中、50歳代の金髪女性が矢庭に爪切りを始め、運転手から叱責される光景に出合いました。
  JRに乗り換えるとリュックを背負い両手に荷物を持った初老の女性が乗り込みました。すると、満席の窓側席の若い女性が立ち上がり先の初老に席を奨めました。
  名古屋地下鉄では、20代のOLから席を譲られた私は「そんな歳になってしまったのか?」と自嘲してご厚意に甘えました。
 「近頃の若者は…」と大人は、若者批判をしますが、大人の情操的価値観の低さは若者のそれを凌ぎます。挨拶、言葉遣い、他人への気遣いなど最も基本的な行儀作法を身につけた高潔で清々しい姿を若者に見せたいものです。

平成25年4月

 この時節は、寂しさと嬉しさが交錯する季節です。
北方町役場では、3月を限りに退職者5人とお別れすることになりました。永年公僕精神に徹し、町の発展に尽力してくれた愛しき人々との別れは寂しさ以上のものがあります。5人衆には躍動的で美しく退職後の人生を歩んで欲しいと願っています。
 入れ替わって4月から11人の新人を迎えます。若いエネルギーの参加は嬉しいものです。
 新人たちには自分が生き学び、働く現場としての北方町を大切にして、ここを基盤に根気強く現状を打開し改革していく創造力と広い視野からの判断力を身につけて欲しいと思います。まちの将来の決め手はあなた達一人一人の自覚に掛かっています。困難な仕事も果敢に取り組み、一緒に道を踏み固め、切り開いていきましょう。

町長随感(平成24年4月~)

平成25年3月

 ①大胆な金融緩和②機動的な財政出動③成長戦略が安倍内閣の景気対策、三本の矢です。
 インフレターゲット(物価目標)二%が目標とされました。
「デフレは景気の悪化で物価が下がる現象」とは中学校の社会科授業で教わった記憶です。
同時にインフレ抑制の為に物価目標という政策手段も学びました。
 果たして物価目標は、脱デフレや景気対策に有効なのでしょうか?低賃金や民間需要は其の儘で物価上昇すればスタグフレーションとなり、庶民生活は苦しくなる。ならば、物価が安定している今が良いのでは、と思ったりします。
 凡そ「この世に持続可能な永遠など存在しない」という諸行無常感から学べば、景気も循環すると納得して慌てたり騒いだりすることもなかろうと思うのは、浅学菲才な愚か者の発想でしょうか。

平成25年2月

 「いじめ」問題の深刻さに心を痛めていたら、今度は有ろうことか大阪市の高校で部活顧問の体罰に耐えかねた17才が自から命を絶ちました。しかも右学校は教師の暴力が常態化しており、バスケ部に留まらずバレー部でも同様な体罰が露見しました。
正に教師による暴力学校の感がします。報に接して垣間見えるのは、学校も教委も袖手傍観の上に、狡猾なまでの隠蔽体質です。
 ヒトは、放っておくと野生化します。(宗教学者山折哲雄)
 「乾いた社会」の人間関係は深く切れたまま、教育をしてもヒトの野生化の前になす術を失うのでしょうか。学校という子どもにとって安心と信頼の場所が野生化教師の餌食になるとは……一体、私たちは子ども達に何を信じて生きよと言えばいいのでしょうか。
 近代教育の将来像が見えません。

平成25年1月

 仏教には「定命(じょうみょう)」という言葉があって、人間にはどうすることも出来ないことと教えます。
つまり寿命です。とすると昨年12月初めに起きた中央自動車道笹子トンネル崩落事故での9人の死は生まれた瞬間に定められていたのでしょうか?
 報道によれば、1977年の開通以来ボルトの補修も補強もされず点検は目視だけだったと言います。本願寺中興の祖、蓮如上人は「人は慣れると、手ですべきことを足でするようになる」と戒めています。
 科学技術を過信し、手どころか足すら動かさずインフラ老朽化を黙止した中日本高速道路会社の手抜き管理はその責任を厳しく追及されなければなりません。先の原発事故も今次のトンネル事故も人間の能力では及ばない力があることを忘れてはいけないのです。

平成24年12月

 先月(11月)初め、青年海外協力隊の一員として2年間に亘るザンビアでの活動を終えた堀部兼一さん(栄町)が帰国挨拶と活動報告に来庁下さいました。
 任務はIT管理者としての現地指導です。お国柄でしょうか時間に無頓着な上、ワードやエクセルの内容を身につける積極性に乏しいのに、教えもしないチャットやゲームの操作はいち早く身につけるなど呆れ、驚く日々の連続だったと言います。食生活では、三度の食事がトウモロコシの粉を練った団子ばかりでうんざりしたことなど失笑気味に話す表情には、途上国の発展に寄与した自信と満足感が窺えました。
 今後は「持ち前の英語力を生かして外資系の職に就きたい」と語る好漢に気圧されるものを感じました。
 国際協力に貢献する若者支援の環境整備の必要性を痛感しました。

平成24年11月

 深まる秋の一日を「芸術の秋」を気取って「マルク・シャガール展」(岐阜県美術館)と「飛騨・美濃の信仰と造形展」(岐阜県博物館)を見て廻りました。
 シャガールは、愛妻家として有名で、そのためかどうか結婚をテーマにした男女の愛情を表現した絵が多く展示されていました。
 絵画に暗愚な私でも愛情の表現と色彩の鮮やかさに魅かれて小さな複製画「婚約者」を買い求めていました。
 博物館では、本町の名刹円鏡寺をはじめ県下の神社仏閣に伝わる48点の国宝・重文の神錆びる姿に釣瓶落しの秋の黄昏を惜しみました。
 趣きが全く違う二つの展覧会でしたが、自分をよくして他人を愛することの道徳性を強く感じました。今の私たちは余りにも道徳心が麻痺しているようで……。

平成24年10月

 「我が町の高校」として慕われる岐阜農林高校の演劇部が全国総合文化祭演劇部門で、文化庁長官賞(優秀賞)を受賞しました。
 その朗報を3年部員4名が届けてくれました。
平成10年、19年に続く3度目の快挙です。ご承知の通り、岐農高の演劇部は全国的にも第一級の演劇集団で部員数も34人を擁します。「みんなの協力で受賞出来ました」と控えめに報告する部長の福富君は出演者だけでなく陰で支えるスタッフへの気配りを見せて好感がもてました。
 日頃は「きらりホール」の照明係を欣然として引き受けるなど地域への貢献を怠らない美質なチームカラーが今回の受賞の原動力と言えましょう。
 爽やかで礼儀正しい若者たちに拍手と声援を送ります。
おめでとう!岐農高演劇部。

平成24年9月

 1945年8月6日と9日は、広島と長崎に原爆が投下された日です。
 北方町では、6日8時15分と9日11時2分の原爆投下時刻に合わせ、町民みなさんに黙祷を呼びかけノーモア・広島、長崎の誓いを新たにしました。
更に6日には第1回平和祈念講演会(講師・被団協事務局次長木戸季市氏)を開催し、200人余りのみなさんのご参加をいただきました。
 この日、嘱目されたのは北方中学校の修学旅行を通じた平和学習の取り組み発表でした。
 原爆資料館や被爆現場で暴戻(ぼうれい)の限りを尽くした惨状を目のあたりにして、戦争を知らない15才が「平和と命の大切さをみんなで継承したい」と決意表明する姿は「今日の聞き手は明日の語り部」との木戸先生の言葉通り、後世に繋げていく必要を改めて思いました。

平成24年8月

 岐阜大学名誉教授水崎節文先生の瑞宝中綬章受章祝賀会にお招きをいただきました。齢80才の先生は少しお足が不自由でしたが凛とした声は以前の若々しさのままでした。
 政治学の第一人者だっただけに国会議員や地方議員のほか、林正子岐大副学長、杉山道雄東海学院大教授など多くの学識者が出席され、今まで経験した幾多の祝賀会とは一味違う悠揚とした雰囲気の集まりでした。
 昭和50年の私の初陣(県議選)では、32才の客気な若造に諄々と政治学を説いて頂いたことを思い出し光陰の流れをしみじみとしました。一人の人間が一生の間に知り合う人数は限られます。こんなに大勢の人の集合は先生が「縁」を大切にされた証でしょう。
 沢山の縁に生き、社会に貢献した人の晩年の姿は何んとも美しい。

平成24年7月

 このところ「生活保護」の不正受給が後を断ちません。
元岐阜県職員が不正受給で逮捕されたと思ったら二人のお笑い芸人の母親が同制度の受給者だったことが話題になりました。ひょっとするとこの種の奸計(かんけい)が蔓延(まんえん)しているのでは、と心配になります。
 「生活保護」制度は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものですが、その原理は補足性が基本です。
 運悪く「生活保護」の対象になったとしても「権利で当然だ」などと思わず「何か私にも出来ることはないか」と考える。そして自分が何かをやることで、励まされる人がいる事に気付く。そういう実感が持てた時、人生は充実するのです。私は、恵まれない人の集いに伺いますが、時として「励ましている自分が励まされている」と感じて恥じることがあります。

平成24年6月

 「やられたらやり返す程の民主主義」数年前の「朝日川柳」の掲載句を思い出す今の政局です。
自公政権末期から今日に至るまで参議院の逆転現象による政治の混乱は“どうにも止まらない!”様相です。「そんな場合ですか?」と未熟な選良たちに問うて見たい思いに駆られます。
 老子の言葉に「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以てす)とあり、仏教にも「怨みに報いるに怨みを以てすれば、怨みの尽くることなし」という戒めがあります。(法句経)
 アメリカは、9・11のテロの怨みをアフガン・イラク戦争で晴らそうとしましたがいずれの攻撃も罪ない人々が何万人も犠牲になり、アメリカへの憎しみだけが残りました。
 国家の非常時ともいうべき情勢下、いつまでも怨みの感情に捕われた政治は国民に見放されます。

平成24年5月

 日本で最初の銀行をつくった渋沢栄一は職員への訓示で「論語と算盤を一致させよ」と言った話はつとに有名ですが、これは仏教の自利・利他業に発するものです。
近江商人の「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の“三方よし”の思想も同じでしょう。
東日本の被災地復興の募金やボランティアの心構えにも通じます。
 対局にあるのが古(いにしえ)の一宮商人です。近隣農村を行商する彼らは、その悪徳さから「一宮カラス」と言って疎まれました。
 現在の東京電力は差し詰め「黒いモンスター」でしょうか。
「反省なし」「謝罪なし」「情報なし」の“三方なし”は、この会社がいかにむき出しの我欲に狂う経営者集団かが判ります。
 原発事故以降の所業の数々は、往年の「一宮カラス」など比ではありません。

平成24年4月

 日本人の道徳の根源は仏教の「利他」「布施」の考え方です。
ところがアメリカ型の「個人主義」の横行によって、自分以外を愛せない人が多くなりました。
 最近の調査では、夫婦と子供2人の「標準家族」より単身世帯の数の方が多いと言います。
人間同士のつながりの最小単位である「家族」が崩壊しつつあるのです。「家族」が崩壊し、1人ひとりが孤立する社会が健全であろう筈がありません。
 2月、東京都立川市で障がいがある4歳児と母親が、3月には、95歳の認知症の母親と介護者の娘63歳の孤立死などが連続しました。「個人主義社会」の行き着く先は「孤立」です。
 見返りを求めず、声掛け合い、励まし合って生きることの大切さを思います。人間は、1人では生きられないのですから―

町長随感(平成23年4月~)

平成24年3月

 北方中学校では、3月9日、234人が巣立ちます。
今年も卒業式での「祝辞」の起草に悩みました。
 伝えたいことは、ごまんとあるのに、多感な年ごろに呼びかける言葉に迷います。
 とりわけ、経済優先、市場原理主義がこの国を覆い、「格差社会」の広がった悪い時代をどう生きるかを16歳に語ることの難しさには思案投げ首でした。
 先の福島原発事故の政治家や官僚、東電にみるエリート達の隠蔽体質は「社会規範」も「公共性」もない「自己破壊的な利己主義」以外ありません。まるで「醜悪な戯画」を見るような思いです。
 子どもの行動は、大人の「模倣」です。
 「共に生き合う純真な心と物事に対する誠実で創造的な人間になって!」と呼びかけるつもりです。

平成24年2月

 2月14日は、バレンタインデーです。その由来は、ともかく、女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る日本特有の習慣になっています。
 「義理チョコ」「友チョコ」「逆チョコ」などあるそうですが、さしずめ私に届くのは「お恵みチョコ」といったところでしょうか。
 何であれ、男にとって女性からのプレゼントは嬉しいものです。ついつい、「あの人は自分をどう見ているのだろう」「何を思って買ってくれたのだろうか」などと考えると年甲斐もなく心のときめきを覚えます。1か月後には3倍返しのホワイトデーが待ち構えていることなど忘れてです。
 我々が生きる上で最も大切なのは、心の通じ合いです。それが源泉となり生きる勇気となるのです。そう考えるとバレンタインデーも満更ではありません。

平成24年1月

 子どもの頃のお正月の楽しみの一つは「かるた」遊びでした。
我が家では、父が読み手をつとめる百人一首の散らし取りでしたがその内の一首「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」(平兼盛)が何故か私は好きで、この札だけは取られまいと必死だったことを覚えています。
 恐らく他の和歌に比して平易な言葉づかいとリズム感の良さが魅力的だったのでしょう。
 昔の恋愛は、夜に活発で自由だったようですが、忍んだ恋がバレて困惑する様子がまるで戯曲のようでロマンチックに映ります。
現代人なら携帯メールの短文で味も素っ気もなく、巷に、恋の浮き名が流れる頃には別れて終わっているに違いありません。
 お正月のめでたさも、情緒もない今様は、心のときめきや緊張の瞬間も失うのでしょうか。

平成23年12月

 マリナーズのイチロー選手がアメリカで10年間続けた200本安打と打率3割の記録が今シーズンで途絶えました。
 「ようやく記録を続けることに追われることがなくなって、ホッとしている」との本人談話を読みながら「イチローは“空”の実践者」と評された哲学者梅原猛さんの言葉を思い起こしました。
 私たちは、競争社会を生きています。「競争」は「勝つ」ことを求めます。その結果、執着、羨望、嫉妬、劣等感を抱き、苦しみが忍び寄り心を乱します。悪循環の連鎖です。
 過去を追わず、未来を願わず、今なすべきことを努力することが自分を苦しめず、自分の能力を損なわないことに彼は気づいているに違いありません。こだわらない、とらわれない心で来季も素晴らしい活躍をしてくれることでありましょう。

平成23年11月

 東日本大震災の復興増税議論が佳境です。
政府案では、所得税4%(10年間)住民税500円(5年間)たばこ税1本当り2円を付加する一方で、法人税は、予定していた5%の税率引き下げを3年間凍結するという痛みの伴わないものです。
 '92年。スウェーデンが不良債権、金融不安、財政赤字、不況という4つの困難に遭遇した時。一般国民は失業手当や疾病手当、児童手当の引き下げで、豊かな国民は、富裕税の5%アップで痛みを分け合って財政再建を果たしました。
 それに比して、何んと奸智(かんち)に長けた我が国の増税光景でしょう。そうでなくても所得税の最高税率が20年余の間に70%から40%に引き下げられているのに。
 せめて、良識を失い何かと邪魔立てする参議院の廃止を俎上にのせるぐらいの見得をと思うのは愚かでしょうか。

平成23年10月

 9月定例議会で「北方町非核平和都市宣言」を制定していただきました。全会一致の決議です。
日本の平和は、66年間も続きました。近代日本にとっては初めての長期平和の経験です。
 9月8日、民主党の前原政調会長は、訪れたワシントンで「武器輸出三原則」とPKOでの自衛隊の「武器使用基準緩和」の見直しを表明しました。日本国憲法は、前文と九条で「戦争をしない」ことを決めています。前原発言は、どう考えても「戦争をしたい」という解釈以外できません。
 私たちは先の大戦の犠牲の上に平和を享受してきました。この間、九条二項の戦力の不保持は空洞化しましたが、九条の「戦争放棄」と「交戦権否定」は守られています。
 「非核平和都市宣言」は、憲法を守り町民一丸で平和の創造者になることを決意した証です。

平成23年9月

 久方ぶりに薬師寺を巡りました。丁度、東塔大修理着工法要が営まれており大勢のお坊さんが汗びっしょりで参詣者の接待をされていました。
 その中に山田法胤管主(旧根尾村出身)の姿をお見受けしたのでお願いしてご一緒に写真を撮らせていただきました。
凡そ管主などの高僧が自ら額に汗して陣頭に立つ姿を知りません。師の人柄を深く感じました。
 時間を過ぎて、わが町のシンボル圓鏡寺の新住職とお会いする機会に恵まれました。好漢31才の青年僧には名刹圓鏡寺再興への大きな期待が掛かります。
 山田管主の相貌が備わるまでは時間も必要でしょうが、地域に愛され、悪い時代を生きる多くの悩める人々を導いて欲しいと願っています。北方町と協働で新しい門前町を―夢見ています。

平成23年8月

 東京の医師が偽の養子縁組をして自分に生体腎移植をした事件が発生しました。
 医師でありながら違法な行為をお金で処理する容疑者、偽りの報告書を作成して加担する弁護士、徹底した調査をお座なりにして金儲けに走る病院。その上執刀医は、平成18年の宇和島臓器売買事件でも疑惑があった人物です。
 登場人物に共通するのは、知識人で社会的に高い地位にありながら道徳心、倫理観の欠片もない狡猾で貪婪な人達です。
この傲慢さの表れが今回の事件に繋がったに違いありません。
 つくづく学歴(知識)があっても蓄えを多く持ってもよく生きる、正しく生きることにはつながらないのだと知らされました。
名誉やお金に捕われて生きることは心が貧しくなっていくことです。
 これからは、心の時代です。

平成23年7月

 内閣府幸福度研究会なる大学教授ら有識者でつくる団体が「震災からの復興と幸福度検討の意義」を発表しました。それによると日本人の幸福度を三つの要素(経済・健康・人間関係)から検討するとしています。そして今般の震災を契機に被災者の幸福の価値観や人生観がどう変わったか。希望や幸福を感じる為の優先度を調べるに同会の幸福度指標が役立つと嘔っています。
 思うに「幸福度」を経済や数値で測るなど胡乱です。国民の九十七%が幸福だと感じるヒマラヤの小国ブータンでは過ぎたる開発や経済発展より自然や文化を守ることが国民の「幸福度」に繋がっているのです。
 今回の原発事故で経済成長よりも原発のない暮らしが「幸福」だと多くの人が感じ始めたに違いありません。「正見」(正しいものの見方)こそ大事です。

平成23年6月

 かつて「時代の寵児」と持て映やされた元ライブドア社長堀江貴文氏の実刑が確定しました。
記者会見で「すべては諸行無常」と発言する彼の倫理観が気にかかります。
 「諸行無常」とは、この世に常なるものは何一つ存在しないと言う仏教の根本思想で、物質的現象には実体がないという「色即是空」「空即是色」(般若心経)の教えへと受け継がれています。
 「お金で買えないものはない。愛もお金で買える」とうそぶいて目に見えるもの(お金)に執着し、会社の乗っ取り、粉飾決算とマネーゲームを繰り広げた拝金主義の行き着いた先が二年六か月の懲役だったのです。
 彼に求められるのは、一人一人の命や心と神や仏への畏敬の念です。つまり目に見えないものを大切にする「空」なる生き方です。

平成23年5月

 東日本大震災で、私たちは人知を超えた存在の恐ろしさを知りました。この地震と津波と原発の爆発を「想定外」で片付けてはなりません。平成二十一年、原発の耐震安全性を検討する審議会で「貞観地震(M8・4)」を上回る津波襲来の可能性が指摘されたが東電は「歴史上の地震で設計上考慮する地震でない」と答えていることが明らかになりました。
 世界一と豪語した防波堤も原発安全神話も、凡そこの世に絶対も完全もないことを証明したのです。
 経済価値だけで生きている私たちは、違う価値観について考えなければならないように思います。
 人類だけでなく宇宙をも絶滅させる原発は廃止・廃炉の検討が急務です。
 「一切衆生」生きとし生けるものすべてが共存することが求められているのです。

平成23年4月

 そこまでして有名大学へ入りたいと予備校生を追い詰めたのは何だったのか?
 京都大学などの入試で起きたネットカンニング事件のことです。逮捕の是非や大学の対応、試験官の責任など専門家らしき人たちの談話を読み乍ら、私は、おそらく優秀であろう青年が利欲に惑う因縁を思いました。
 日本社会は、相手を蹴落としていい大学に入ることが人生の幸せを保証するかのような錯覚を植え付けますが、学校は知識は教えるが智慧を教える所ではありません。
 かの青年には、カンニングをすればどういうことが起きるか、家族が、友人が、周囲の人がどんな辛い思いをするかを考える智慧が無かったのではないでしょうか。
 立派な学歴があっても智慧が無ければ、人は果てしなく愚かになるのです。「知識より智慧」です。

町長随感(平成22年4月~)

平成23年3月

 国の借金総額が九百兆円になり国債の新規発行額が四十四兆円。国内総生産(GDP)比八パーセントになるといいます。
人口減少社会が将来世代の重荷になることは素人の私でも判ります。
 未だ生まれてもいない人たちからの借金で私たちは身分不相応な豪華な暮らしをしていることに気付かなければなりません。
 すべての人が少しずつ生活水準を下げる覚悟が必要です。
菅さんも「日本の財政は深刻です」と緊急事態を宣言し「満ち足りた心で生活して下さい」と国民に呼びかけたらどうでしょうか。
 欲望の趣くままに競争原理に立脚して負け組の不幸の上に得る勝ち組の幸福などという奇妙で非人間的な欲望を捨てることです。
「競争」から「共生」へと発想を変えて、みんなが幸せに生きることが人間本来のあるべき姿です。

平成23年2月

 昨年の自殺者が三万一千五百六十人との統計数値が警察庁から発表されました。
前年より一千二百八十五人減りましたが十三年連続で三万人超の死は一寸した戦争状態です。
 キリスト教は「十戒」で仏教は「五戒」で殺してはならない(不殺生)という戒律を大切にします。無論、自殺も対象であることは言うまでもありません。
 自殺の原因を計ることできませんが、男性が女性の二・四倍と圧倒的に多いのは、不況の長期化が原因でしょうか。
或いは、行き過ぎた個人主義、利己主義で地縁、血縁が切れた「無縁社会」の結末なのでしょうか。
 「命こそ宝物」。人間としてこの世に生きていること自体が有難いと感謝できる社会、人を生き生きとさせる国づくりこそ急務です。

平成23年1月

 昨年は北朝鮮による韓国領延坪島砲撃事件、尖閣諸島中国漁船衝突事件と平和に関わる問題が勃発しました。
 これに反応するように政府は新たな「防衛計画の大綱」を策定し南西諸島防衛を軸に中国の脅威と警戒感を色濃く打ち出した上に武器輸出三原則の見直し協議を始めようとする気配すら見せました。
 三原則の見直しは、日本の武器を海外へ売ることを認めるかどうかを問うものです。
一たん軍需産業に依存したら、戦争しないと生きていけない国になることを忘れてはなりません。
プラトンは「国家論」で戦争回避のためには順番を間違えないことと論じています。
果たして、わが国の対応に「順番」の間違いはなかったのでしょうか?

平成22年12月

 もう十二月です。
振り返れば、この年も時間に追われる毎日でした。
人間は老いるため、死ぬために生きているようなものですからこの辺りで時間との戦いを小休止してそろそろ老い方、生き方を考えることの必要を思ったりします。
 携帯電話に熱中する若者の姿に孤立と無縁社会で言語や文章が失われていく気配を感じます。
いかにIT(情報技術)が進歩発展しても、人間をまるで機械のように扱う風潮は人として生きる上で最も大切な心の通じ合いを置き去りにしてしまいます。
世の中の物事は、すべてが他の要素と関連しあって存在している事実を思うと、沢山の「縁」に生かされていることに感謝して、年齢を意識せず、自分を見失わず、人間らしく生きることが大事だとの思いを強くするのです。

平成22年11月

 この秋は多くの死別に会いました。同日に二人の葬儀に駆け付けることもありました。私にとって姉のような存在の人だったSさんもその中の一人です。
 彼女はご主人のお世話を長くされたあと一人暮しの生活でしたが、とても七十三才には見えぬ若々しさで、自転車が苦手で買物など何時も歩きでした。背筋をピンとして足早に歩を進める姿には嫋々とした美しさがありました。
 そんなお元気なSさんが九月末誰にも看取られず忽然と亡くなりました。いつもお会いすると「評判いいよ、頑張ってね」「町長随感楽しみにしてるわ」などと声掛けて下さって、時として呻吟する私を励まして下さいました。
 美しく老い、美しく死ぬことは万人の願いです。それを成し遂げたSさんは人格と共に素晴らしい人生でした。ご冥福を祈ります。

平成22年10月

 財政危機を契機として国も地方も改革が進んでいます。
財政、行政、組織改革など何れも重要でありますが、私は町民のみなさんの求めはそれだけに留まらず、窓口の接遇を含む職員の意識改革だと思い接遇研修をしたり折に触れて口出ししたりして来ました。
 8月、来庁者に「窓口アンケート」をしました。結果は「大変満足」「満足」が77・27%。「大変不満」「不満」が2・35%でした。前回調査(19年)ではそれぞれ69・6%と3%でしたから職員意識の変化をうれしく思います。
 最近の若者はリアクションの薄さが気になりますが、与えられた仕事に取り組むまじめさは私たちの時代の比ではありません。
 彼らの自発的な「気配り」ですべての来庁者を気持ちよくお迎えできる日も遠くないでありましょう。

平成22年9月

 町立図書館のトイレで大量の吐下血で苦しむ老人が発見されました。辛うじて一命を取り留めましたが、八方手を尽して探しあてた長女夫妻は「係わりたくない」とケンもホロロ。
 今の社会は、一体何を信じ、何を軸として生きたらいいのでしょうか。簡単に親を捨てる、幼い我が子を虐待死させるなどの事件の頻発は社会全体の質が劣化して、最悪の時代が到来しているように思えてなりません。
 人間として最高の道徳は「慈悲」の心を持つこと、とは釈尊の教えです。その意味は、人間同士、お互いに苦しみ悲しみを分かち合い愛情をもって生きよ!ということでありましょう。
いわんや、肉親・親子ならばなおのことと思うのです。
 心さびしい時代です。

平成22年8月

 ある中学校の女子生徒が同じ学校の生徒を裸にし、その動画を他の生徒にメール送信した事件がありました。と思ったら今度は同じ学校で男子生徒への暴力事件が起きました。
 大人社会ばかりか子ども社会も悪い時代の深化が進んでいるようで何とも切ない思いです。
二つの事件の悪質さには人としての質の劣化を驚怖するのみです。
 その上、学校長と教育長の新聞談話を見て感じるのは、二人の教育者には「いじめ」と「犯罪」の区別すら認識出来ていないのではないかということです。事件が友達への接し方「モラル」の問題なのか。犯罪に該当する「ルール」違反なのか。或いは医師の対応が必要な「病的」要因なのかの視点で原因を追究・特定して除去するとの発想の不足が気懸かりです。

平成22年7月

 「普天間問題で鳩山首相退陣!」のニュースを大した驚きもなく聞きました。
本土防衛の盾となって壊滅的な打撃を受けた沖縄に、その後65年間という永きに亘り犠牲を押しつけておきながら、大阪府知事を除いてどこの知事もその負担を共有しようとしない非情さの方が何倍もの驚きです。(全国知事会議5/27)
 一方で日米同盟の基軸を説き、米軍基地の必要を口にする欺瞞と無責任さは、鳩山内閣の「失政9カ月」とどちらが罪深いのでしょうか。
 全国どこも引き受け手のない「基地」は詰まる所、日本に「基地はいらない」という「国民総意」なのではないでしょうか。であるならば、前首相の「国外、最低でも県外」発言は満更でもないと今更ながら情に掉さしたくなるのです。

平成22年6月

 WHO(世界保健機関)の発表によると我が国の平均寿命は83歳でイタリア半島の小国サンマリノと並んで首位を堅持しました。
 高齢化社会を恐れることはありませんが、私は日本国の「老人化」を恐れます。国債残高が5百53兆円、岐阜県でも今後3年間は9百億円超の財源不足だといいます。
 右肩下がりの財政状況は未だ未だ続きます。そして、この国は確実に衰えていきましょう。国の「老人化」とはそういうことです。
 しかし、この世は「諸行無常」です。すべてのものが生と死の循環です。今の不況も永遠ではありません。国が滅びても無くなる訳ではないのですから「堪え忍ぶ」覚悟があれば恐れることはありませんが、さて、はて?その覚悟が暖衣飽食に浸かる私達にできるでしょうか。

平成22年5月

 役場には苦情やお叱りが多く寄せられます。その都度、職員は悩んだり苦しんだりします。無論、時として嬉しいことに励まされたりもします。
 八十才のお母さんの介護相談に来られた男性から職員の親切な応対に感激したと過分なご寄付をいただきました。
 窓口職員と包括支援センターの保健師や社会福祉士が連係して機敏な対応をしてくれた結果です。おそらく職員は当たり前に仕事をしたに過ぎないとの思いでしょうが、役所特有の指示待ちや先送りをせずに「住民の視点」で行動するという意識変革が嬉しい限りです。それにも増して、一寸したことにも感謝の気持ちを忘れない男性の心が美しい。
 毎日を不満を抱えて生きている我が身を恥じ入るばかりです。

平成22年4月

 新旧が入れ替わる季節です。
今年の退職者は5人、新規採用は4人です。
新人には公務員特有の前例や慣習、常識にとらわれずに創造的な仕事をして欲しいと願っています。
 先輩や上司のすべてが優秀で人格者とは限りません。保守的な先輩や上司の考えと対立し、孤独になっても、それに堪える力を持たなくてはなりません。
 何となく出勤して何となく帰宅する人、要領だけの人、駆け込み出勤で朝の掃除をサボる人などが居るかも知れません。そんな後ろ向きな人の力学に自分の気持ちが靡いたら、辞表を出すぐらいの覚悟や勇気も必要です。
 私たちの給料はすべて額に汗した町民の税金で調達されていることを忘れないで欲しいのです。

町長随感(平成21年4月~)

平成22年3月

 日本航空が破綻したと思うと今度は世界のトヨタがリコール問題で窮地に立っています。
昨年は、社会保険庁すら解体されました。少し古い話ですが、拓銀、長銀が潰れ、カネボウ化粧品や不二家が買収されたりもしました。こうしたことを思うと私たちは、ともするといい大学に入ることがそのまま将来を約束されると学歴志向に陥りがちですが、先の例を見れば大企業や公務員への就職が一生を保障するという神話は崩れています。
 人間には点数だけでは測定出来ない未知の能力があることや地位や学歴では乗り越えられない苦難にも出会うことがあるのです。
「いつでもやり直しがきく社会」こそ人生をより良く生きることに通じるのだと思います。

平成22年2月

 内閣府の発表によると「結婚しても子どもを持つ必要はない」と考える女性が46.5%を占めるそうです。
 年齢別で見ると二十代女性の68.2%、三十代女性の61.4%にのぼります。更に、結婚について「しなくてもいい」との回答が70%です。
若い世代の意識変化と片付けてよいものでしょうか。
 そんな折り、政府は「子ども手当」の支給を決めました。
未来の担い手を社会が育てるという理念には大いに賛同しますが、「子ども手当」を出す前に、子どもを産み、命を育てる自覚と倫理感を教育することが先だと思うのは御節介が過ぎるでしょうか。
 母親が欲望を抑えて、子どもを育てる姿こそ尊いものはありません。

平成22年1月

 「学校は勉強する所」で「楽しくない所」と感じていた。しかし、2年生になって、なり手のない合唱委員に推され、僕の思いは変わった。
 クラスのみんなが助けてくれて気持ちのこもった合唱をしてくれた。仲間と共に頑張れる学校生活の楽しさに気付いた。掃除も授業も一生懸命取り組むようになった。学校は勉強するだけの場所ではない。勉強が出来るだけでも駄目だと思った。
(北中2年・藤田君)
 少年の主張大会での発表を聴き乍ら、授業外の学校行事や活動が人としての成長に果たす教育的役割に気付く14才の成長ぶりに感激しました。 そろそろ、我が子をどんな人間に育てたいか、社会の中で生き抜いていける力をどのように育んでいけば良いのかを大人が気付く時ではないでしょうか。

平成21年12月

 気が置けない仲間と広島へ出かけました。何年振りかで立った原爆死没者慰霊碑の前で「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれた碑文に改めて反戦平和を誓いました。
 あの悲惨な戦争へと進んだ過失の責任の一端を担って「不戦」を永遠に誓い、命の尊さ、不殺生を後世に伝えることはせめてもの犠牲者への手向けだと思います。
 若し、学校教育に知識だけでなく智慧を授ける力量があるのなら修学旅行は、広島・長崎にして欲しいと私は思っています。
 東京やディズニーランドも良いけれど、社会人になれば彼の地へ行く機会はごまんとあります。
上野公園でなく、原爆ドームでの合唱こそが子どもたちの心を何倍も揺さぶることでありましょう。

平成21年11月

 JR福知山線の脱線事故で107名の命が失われてから4年が経ちました。線路脇のマンションに激突して原形を留めない報道写真に凍り付いた記憶が蘇ります。ところが事故調査委の調査情報がJR西日本の組織的な漏洩工作にさらされていたというのです。
 その上、調査にあたる調査委鉄道部会メンバーの4人中3人が旧国鉄関係者と言うのですから驚きです。これでは、最初から情報漏洩在り来の人選だったと思わずにはいられません。飲食でもてなし、挙げ句は委員会の報告書の修正まで画策したというのです。
 思うに、JR西日本という会社は安全より利益が優先という貪欲で、無反省で、愚かで、自分のおかれている状況がわからない集団ということでしょうか。

平成21年10月

 北方町の鳥に「カワセミ」が決まりました。
きっかけは、岐阜農林高校動物科学科のみなさんが5年間に亘って続けた環境指標生物の調査結果の報告を届けてくれたことでした。
 それによると、「カワセミ」の他に64種類もの野鳥が確認出来たとあります。
 静岡県知事の川勝平太さんは著書で「森の文化」を唱え、森の落葉は土をつくり、土がきれいな水をつくり、水は川となり海に流れて魚介類を育てる。自然を大事にすることこそ国家の品格、文化の基礎だと説かれています。
「カワセミ」の再来は「自然回帰」の証しです。近く「カワセミ探検ウォッチング」を開催して大勢の人と「自然の文明」をこの町に開花させる夢を共有したいと心躍らせています。

平成21年9月

 今年の夏も孫が来てくれました。1年生になったので一人だけの空の旅でした。
 せがまれて、キャッチボールやゲームに興じながら、やがて、この子が大人になって愛する人と結婚する時、私の命はどうなっているだろう…
 私が父母亡き後に居るように、私が死んでも息子が残り息子が逝っても、今、私と無邪気に遊ぶこの子が生きている。と想いを巡らせながら、生まれ変わり、死に変わりを繰り返して受け継がれる命の神秘と尊厳を思いました。
 日本の自殺者は平成10年以降、毎年3万人を超えています。市場原理主義を優先した結果、日本人はいかに生きるかの指針を失ってしまったのでしょうか。
 「殺すな」「殺させるな」人の命は繋がって、尊いものです。

平成21年8月

 ライクラ・サミットで温暖化ガス削減について、先進国の排出量を50年までに80%以上とする長期目標が合意されました。
 昨年の洞爺湖サミットで断念した新興国を含む50%削減へと前進することを願うばかりです。
 近代思想は、自然を征服することに執念を燃やしてきましたが、そろそろ人間だけが宇宙の中心的存在と考える思い上がりを改めることが必要ではないでしょうか。
 3月に完成した町制施行120年記念公園は560坪の小公園ながらベンチと樹木だけの「森の思想」を大切にしました。この公園の木の下で、私たちは神や仏に生かされて居ると気付いたら、自然との共生に悠揚(ゆうよう)とした心境になりましょう。

平成21年7月

 児童虐待事件が後を断ちません。その原因を専門家の多くは、彼らの「生い立ち」に求めます。「親の愛情を受けずに育った人」は「自分の子どもを愛せない」と・・・
 私には、尊敬する二人の青年がいます。A君は、幼児期からネグレクトに苦しみました。食事は、おかず無しでご飯だけを一人で食べたと言います。B君は、二階から突き落とされて顎骨を折ったり、手の指先をペンチで締め上げられたり、と恐怖の日々を語ります。でも、二人は今、立派に家庭を築き幸せにしています。
 彼たちに接する度に虐待する親の「責任感」の欠如こそが真の「原因」で「生い立ち」の所為にするのは責任の転嫁だとの思いを強くするのです。
 「子育ては親の責任」です。

平成21年6月

 4月に実兄が他界しました。長(なが)の患いでしたから何れこの日を覚悟していましたが、肉親の死は悲しみが増すものです。兄は、長男として私たち妹弟の面倒を良くみてくれて、私などは頭があがりませんでした。
 人間は死ぬと六種類の世界に生まれ変わる「輪廻転生」を繰り返すといいます。とすると、今は"中有"。兄の魂は近くで剣難(けんのん)な私の毎日を心配顔で見守ってくれているのでしょう。
 高田好胤師は「真の対話」は死に別れた日から始まると言われました。今、しみじみとその言葉を実感しています。七七日を無事通り、迷いの世界の「六道」から解放されて「涅槃界」で安穏な日々を送って欲しいと祈るばかりです。

平成21年5月

 今年度も6名の若者を北方町役場に迎えることが出来ました。厳しい就職戦線を思い拍手をしたい気持ちです。
 しかし、大学を卒業した能力が役場職員(社会人)としての能力とイコールではありません。パソコン操作が優れていても数字に強くても英語に堪能でも、そんなことはそれ程、重要ではありません。
 私は、職員のみなさんに「挨拶」「掃除」「身だしなみ」にうるさく口出しします。
 こうしたことに気を配る緊張感こそが、仕事ぶりに通じると思うからです。
 新人達には、全体の奉仕者としての使命感に燃えて礼節と思いやりを身につけて欲しい。そして「住民基点」で行政を創造する心意気を見せて欲しい。彼らの可能性を尊敬する故に要求するのです。

平成21年4月

 若田光一さんが三度目の宇宙旅行で3ヶ月半の長期滞在に挑んでおられます。
科学の進歩の素晴らしさを絶賛すべきでしょうか?
 頑迷固陋(がんめいころう)な私には、人工衛星で月や火星を赤裸々にされるより、中秋の名月に幼い日の「うさぎの餅つき」を思い、「竹取物語」のかぐや姫を連想するロマンチシズムの方が好きです。
 今、宇宙には1万個を超える人工衛星やロケットの残骸(宇宙ゴミ)があると言います。地球上だけで飽きたらず宇宙までも破壊へと導く人間中心主義の欲望は、やがて人類の生存をも脅かすに違いありません。
 「少欲知足」(欲望を慎み、足ることを知る)新装なった北方中学校プールに掲げてもらった言葉です。

町長随感(平成20年4月~)

平成21年3月

 この4月から孫が小学校に入学します。
 頭が良くて、立身出世して、お金持ちになって欲しい、と誰もが思う過大な願いもありましたが、最近はそんなことよりも丈夫な子に育って欲しい、何より思いやりのある人間に育って欲しいと思っています。
 いくら頭が良くても心がつめたく思いやりのない子では悲し過ぎます。
 点数で序列化し、高学歴が将来を約束する今日の教育のあり方に唯々諾々とせず。
 得手、不得手は文化の違いぐらいに思って可愛い孫の成長を見守りたいと思います。
 私が、この子にしてやれることは富や名声を残すことではなく「お前の爺は非道な奴だった」と言われないようにすることだと心しています。

平成21年2月

 数学者の藤原正彦さんは、日本の現状を「武士道」を捨ててしまったと憤られる。
 武士道の中核は「惻隠(そくいん)の情」だと言って・・・
 柔道も剣道も相撲でも日本古来のスポーツは「礼に始まり礼に終わる」ことを重んじ、相手への思いやりの心の大切にします。
 それにつけて思い出すのは朝青龍の初場所初日の相撲振りです。相手、稀勢の里は土俵を割り、力を抜いているのに左右のパンチはダメ押しの域を超えて不愉快でした。
 そして優勝時。土俵上での「万歳」は節度が過ぎると思ったのは、私一人でしょうか?
 「勝って驕らず」武士道精神を身につけてこそ真の横綱というもの。武道の特有性は闘志も喜びも内に秘めて戦うところに美学があるのです。

平成21年1月

 今年の新年は除夜の鐘を遠くに聞きながら迎えました。
 少年期、寒空の下、除夜の鐘を撞(つ)くのは、私に与えられた仕事の一つでした。父は、作業を渋る私に除夜の鐘の意味を「一年の苦しみを撞いて滅し、新しい心で新年をお迎えするのだ」と教えました。
 長じて、その意味が生・老・病・死の四苦(しく)と愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求否得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を合せた八苦(はっく)を「四苦八苦」といい、四苦が四九(しく)(三十六)、八苦は八九(はっく)(七十二)で合計百八となることから除夜の鐘は百八つ撞くのだと知りました。
 なんだか、語呂合せのように思えますが、成程、生きることは苦しいことです。しかし、それに堪えて生きる「堪忍」を父は小さな私に説いたのかと思っています。

平成20年12月

 いろんな事象をみせて、この年も終ろうとしています。中でも教育について黙過できない二人の発言がありました。「日教組が学力低下の原因」(中山前国交相)「クソ教育委員会」(橋下大阪府知事)です。
 いずれも学力テストに関係してのものですが、学力差を教員組合や教育委員会のせいとするのは的はずれで、別の狙いを感じます。
 其々、学力テストの目的は何かを明らかにして欲しい。過度な競争や地域間の序列化のためなら40年前に廃止した教訓はどうなったのか。
 市町村や地域のレッテル張りや単なるテスト対策なら開示の是非よりテストそのものを止めるべきでしょう。
 来年は要職者の「品格テスト」など如何ですか?

平成20年11月

 久しぶりに「痛快」なニュースでした。
 ノーベル物理学賞と化学賞を小林、益川、南部、下村の名誉教授が受賞されたことです。素粒子研究と蛍光たんぱく質の発見がその理由です。
 浅学な私には、詳しい理論を知る由もありませんが「痛快」なのは、4氏の理論が発表されてから30年も50年も過ぎての評価であることです。
 日本の社会は、企業に役立つ人材を育てるために智識を詰め込むことに熱心で直ぐに役立つ能力を求めます。
 本当は、どんな変化にも耐えていける長持ちする能力こそが本物で大事なのですが…
 4氏の受賞は、人材育成をお金に換算して憚らないこの国の来し方行く末への痛諫(つうかん)のように思えます。

平成20年10月

 猛暑と豪雨の今夏は、人間が地球に、或いは動植物に欲望の限りを尽くした報復を受けているのに違いありません。
 欲望の趣くままに生きれば悪となるのです。
 故に、釈尊は「欲望を慎め」(精進)と説き、老子は「足るを知る」ことを諭します。
 97年に締結された温室効果ガス5%の削減計画(京都議定書)は空文化され、洞爺湖サミットでも重要視されませんでした。
 文明と科学で自然を支配できると各国首脳は思っているのでしょうか。
 一連の異常気象は、人間を特権階級と思い込み地球を征服し、自然を破壊して尚、反省しない不遜への警鐘と気付かなければなりません。
 生きとし生けるものの共存こそが新しい文明理論です。

平成20年9月

 7月26日。タオルを首におにぎりを持って「スポーツチャレンジ08・三十人三十一脚」の応援に、で愛ドームへ出掛けました。
 今年からは北小も加わり、西小の2組と合せて3チームの参加で応援に力が入ります。競技の内容は二人三脚の大型版でゴール迄の時間を競う単純なものですが、何より子ども達の真剣に取組む姿や表情、先生との会話の様子を見ながら、他者より、一歩でも抜きんでる為の序列競争ではなく、共に楽しさを求めて力を合わせるという学校教育の真髄を見る思いで嬉しくなりました。
 彼らは、同じ目的をもって汗を流し、切磋琢磨することで学習活動や授業では習得できない喜びを味わったに違いありません。
 (社)JC岐阜の粋な企画にも感佩(かんぱい)です。

平成20年8月

 明治22年に北方町が誕生して120年。
 大勢のお客様を迎えて7月5日記念式典が行われました。その席で功労者特別表彰をさせていただきました。
 作家の故大岡昇平さんは「官の賞」を嫌い「反権威」の気骨稜々、色々な賞を辞退されたと聞いています。
 そんなことが気になって、今回の表彰は、学歴や肩書、天才肌や財産で該当者を判断せず、目立たないところでコツコツ努力され、社会に有益な働きをされた「努力の哲学」の実践者77名と19団体を、その数も対象も多くして「権威臭」を排しました。
 思えば120年の歴史の中で、どれだけ多くの先人が日日小さい行いながら心潤わせる働きをされたことか。
 そのお陰で、今、私達が在る。

平成20年7月

 パートで働く女性の嘆きに教育の大切さを思いました。
 雨の日、ビニール袋に入れて配達された新聞をそのまま上司の机上に置く、雑巾がけを一度も裏返したり濯ぐことなく拭き続けて終える、分別無視で何んでも塵箱に捨てる。新入社員の振舞いに只々驚く、立派な大学を出た人達なのに…と。
 人は誰もが幸せになりたい。そのためには、詰めこみ教育で相手を蹴落し、いい大学と立派な会社に入ることが大事と教える家庭と社会、それに追従する学校教育。
 つまり、智識だけは教えるが、人間はどう生きたらいいか、という最も大切な智慧を教えることを疎かにした結末が冒頭の現象でしょう。
 智識があっても智慧がなければ人間幸せとは言えません。

平成20年6月

 近頃、本のタイトルにやたら「品格」とつくのが気になります。藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーになったことの影響でありましょう。
 「女性のー」「男のー」「自分のー」「親のー」「企業のー」挙句、「飲んべぇのー」「腐女子のー」などと続くと著者や出版社の「品格」を疑いたくなります。
 売るためには、タイトルをパクっても、という拝金主義は如何にも見苦しい。一連の偽装事件や、数年前のホリエモン、村上世彰の「金がすべて…」の傲慢無礼とどこが違うのでしょうか。因みに「品格」とタイトルがつく本は百種類にも及ぶそうです。
 或いは、この程度のことに目くじら立てる、私の「品格」を恥ずべきでしょうか。

平成20年5月

 町内の女性団体などと事業者で「北方地域レジ袋有料化協議会」を立ち上げていただきました。
 この運動が実を結ぶと北方町だけでも年間169トンの二酸化炭素が削減でき、地球温暖化を防ぐ一助になります。国内で使われるレジ袋は300億枚、その原料となる石油は60万キロリットルにも達します。
 考えてみれば、自販機やコンビニ、スーパーや、ろくすっぽ客の来ない深夜の銀行の自動支払機まで24時間営業で電気を垂れ流す、この国の愚かな在り方は根本的に考え直さなければなりません。
 この地球「山川草木悉皆成仏」。
 科学の力を過信し、人間だけが便利さを求めて破壊し続ける蛮行は許されません。共生の思想が必要です。

平成20年4月

 新規採用者5名を迎えて、新年度がスタートしました。
 どの人も北方町を大切にし、ここを基盤に生活者と共に行政の改革をしていこうとの決意で北方町職員の道を選択してくれたのだと信じています。
 人間は、5つのタイプに評価されるといわれます。
1.いなくてはならない人
2.いた方がいい人
3.いなくてもいい人
4.いない方がいい人
5.いては困る人
 果たして、今年の新人たちはどのタイプなのでしょう。
 もちろん、人材育成の責任は町長である私にかかっています。しかし、最後の決めては職員一人ひとりの自覚です。
 自己啓発に励み、困難な仕事に果敢に取り組む行動力こそ北方町は求めているのです。

町長随感(平成19年4月~)

平成20年3月

 日本人の人口が1億2,614万5,000人(8月1日現在、推計)となりました。前年より5万5,000人の減だそうです。
 岐阜県の人口も国勢調査が始まった大正九年以来、初めて減少に転じました。
 嘱目(しょくもく)すべきは自然増加(出生―死亡)、社会増加(転入―転出)ともに下降線で若い人たちの減少が著しいことです。
 北方町の人口動態は微増傾向ですが、少子化による人口減少は避けることが出来ません。この現象は行政の努力だけでは限界があります。
 詰まる所、現実を直視して愁嘆することなく、日本古来の美学である「地域」の連携を強め、心の繋がりを回復して、お金や数値で測らない子育て支援が必要なのではないでしょうか。

平成20年2月

 政府の教育再生会議が三次にわたる報告を出しました。
 教育バウチャー導入は学校間の競争原理を誘って、保護者の財政力格差による教育差別が拡大しないか?ゆとり教育を見直し、土曜日授業の復活は、子供にとって楽しい学校となるのか?など「負」の部分を案じてしまうのは老婆心でしょうか。
 学校は、受験学力をつける場所ではなく、授業以外の行事や活動によって人としての成長を果たす役割を担っている重要な機関です。
 そのためにも、先生の目をもっと子供や地域にもっていくようにすることこそ必要なのではないでしょうか。
 朝、目覚めると、早く学校へ行きたいなと思える学校づくりこそが、教育再生への道だと思うのです。

平成20年1月

 北方町史によれば、その昔、商業地としての我が町は、この辺り唯一の市街地として岐阜・大垣につぐ繁昌ぶりを呈したとあります。
 現今の「商店街」は、流通と消費の変化の中で昔の活気を失い、「シャッター通り」と化した姿は痛々しい限りです。
 郊外にできた大型商業施設を見てハタと気付くのは、何のことはない屋内の商店街なのです。その発想を生かせないだろうか。
 或いは、卵1個、豆腐1丁でも配達するといった高齢者にやさしい商いは・・・と、下手な考えを巡らせてもみます。
 「人と人が顔を合わせ、声掛け、励まし合って暮らす」そんな商店街再生のエースの出現を今年も待ち続けるのです。煩悶しながら・・・。

平成19年12月

 公募によって立ち上げた「北方町政策審議会」が11月17日の会議で本年度の任務を終えました。
 新しい住民参加の方法によって、人と人との交流ができ、ネットワークが構築できたことは従来、ややもすると傍観的であった住民意識が「自分たちの町は、自分たちで良くする」という意識に変わった表れだと思います。
 提案された貴重な意見を1つでも多く具体化して、住民のみなさんに還元していけば、住民自らが議論の末に政策を選択するという新しい自治体運営が可能になると胸躍らせています。献身的にお骨折りいただいた委員のみなさんに感謝しつつ、来年度の審議会が更に異彩を放って、この町に「参加民主主義」が定着することを願っています。

平成19年11月

 何という了見なのでしょうか。老舗の「赤福餅」が製造日や原材料を偽っていたというニュースに、権謀術数(けんぼうじゅっすう)に猛た姦悪(かんあく)な悪徳商人の姿をみました。
 それにしても、「伊藤謹」なる会社の国産米と輸入米のすりかえや、「ミートホープ」の偽装ミンチ事件など枚挙にいとまのないふらちな所業の数々は、自利の塊と化した最近の商法が「道徳心」を失った現代日本人の末路のようで不憫(ふびん)です。
 人間に何故道徳が必要か?梅原猛先生によれば、人間は性欲、所有欲、名誉欲、征服欲(権力欲)が動物より強い。故に、放っておくと恥知らずになる。従って、道徳が必要と説かれます。「利他」の心がけを積みたいものです。

平成19年10月

 9月の連休の1日。京都国立博物館で「大覚寺の名宝」展を、滋賀県立近代美術館で「円仁とその名宝」展を梯子してきました。
 いずれの会場も仏像好きの私を満足させる正に至福の時間でした。
 そんな感動に浸る中、もう一つの感嘆がありました。滋賀県立近代美術館の立つ丘陵地一帯の「びわこ文化公園」に図書館、埋蔵文化センター、子供広場、催物広場等を併設。文化ゾーンとし、周辺には立命館、龍谷、医科大学に高校を配した都市公園の町づくりは白眉(はくび)と言って過褒(かほう)ではありません。
 これからの公共事業は力点をどこにおくか、その中身と質を問題にして取組んでいくことの大切さを知りました。

平成19年9月

 この夏、蝉時雨の中、実家の墓前で秋川雅史さんのヒット曲「千の風になって」の詞を思いました。♪私は墓の中で眠ってなんかいません。♪夜は星になって、あなたを見守る・・・と。
 そういえば、日本の神道や仏教でも人間は死んだら魂(たましい)が肉体を離れ、その魂はしばらく屋根や近くの山に居て、やがて、この世とあの世を旅しながら私達を見守ってくれると教えます。
 私の父は82歳、母は47歳で他界しましたが、64年余も病気らしい患いもせずに今の私があるのは、両親の魂が見守ってくれているからでありましょう。
 お盆がめぐりくる度に父母へ「ありがとう」と”眠ってなんかいない”はずの墓に手を合わせます。

平成19年8月

 7月のある日、思い立って地域活動支援センター「もちの木」を訪問しました。色々な障害のある人たちが一生懸命に紙袋の紐通しの作業に精をだしている最中でした。
 私たちは、ともすると障害者を特別なものと考えがちですが、ちょっと考えてみれば、人間は誰だって赤ん坊の時は自分で何も出来ない心身障害者で、人生最後の時も必ず人の世話を受ける障害者です。つまり、赤ん坊、若者、年寄りがいる、病人も健康人も障害者も共にいる。それが当たり前の姿であって、異常でも特殊でもないお互い存在なのです。
 こういう形の社会、これが本当に生きるに値する社会ではないかと思います。「共に生きる」を教わった時間でした。

平成19年7月

   「住民参加の草の根民主主義」の町づくりを目指して、北方町政策審議会が6月16日勇躍スタートしました。
 30人からの人が応募してくれるだろうか。今までにない手法が理解されるだろうかと心配しましたが〝案ずるより生むが易し〟、定数を超える人たちに審議会委員への申し込みをいただくことができました。
 手探りながら議論も白熱的で委員のみなさんの町へ寄せる熱い思いを感じました。
 この日を迎えるために忙しい仕事の合間を縫って汗してくれた若い職員のみなさんへの感謝も忘れません。
 住民と行政がパートナーになって、新しい行政モデルが誕生することでありましょう。
 北方町のあり方が大きく変化する予感がします。

平成19年6月

  教育への議論がかまびすしい昨今です。五月十一日から十三日に開かれた全国首長連携交流会(東京)でも各首長が熱心に教育行政への思いを発言されました。和歌山県高野山町長は、義務教育は国や自治体の義務だとの誤解が保護者にある。故に給食費も払わず権利ばかり主張する国民が増えると指摘のうえ、宗教的情操教育が必要と熱弁されました。
 義務教育とは、教育を受ける子どもの権利があって、教育を受けさせる義務が大人にあると受け止めるのが正しい解釈でありましょう。教育権と教育責任は親にあるとの認識が大人たちに欠落しているのではないでしょうか。
 併せて「仏教的道徳教育」を公教育に取り入れる時期(とき)ではないかとも思います。

平成19年5月

  熊本市が「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の設置を認めました。
 何ともやるせない思いです。出産や育児に悩む人がいることはわかりますが、行政が赤ちゃんを捨てる行為の手助けをする卒然さに、日本人の道徳心もここまで麻痺したのかと驚きます。「道徳の根源は親心」とは、哲学者梅原猛先生の弁ですが、子どもを思う(愛する)心すら私たちは失ったのでしょうか。
 行政がするべき手助けは、児童相談所や保健センター等を見直して、子育ての応援をすることこそ緊急の課題なのに、あろうことか子捨て援助に走るという酷薄さは誠に忍びない。それとも、こう考えること自体がもはや、時代に合わなくなったのでしょうか。

平成19年4月

 私は、町長に就任以来、幹部職員に部下の中から次の時代のリーダーを育てることを責務の一つと心して欲しいとお願いしています。部下の新しい発想と技術を汲みあげ、職場を活性化することが幹部職員の重要な仕事だと。
 一般職員には、上の人の下請け仕事に甘んじることなく積極的に新しい理論にいどみ、技術を磨き、施策を練って質の高い補佐機能を果たして欲しいと。
 こうした相呼応する形でチームを組んでいき、地力をつけてもらいたいとの期待からです。困難な仕事を後にまわさず、果敢に取り組む行動力こそ「北方」が輝きを放つ源になるからです。
 「小さくてもキラリと光る町」づくりはこれからです。