信長朱印状

更新日:2025年03月25日

ページID : 776
分類
番号 56
指定別
種目 古文書
種別 美術工芸品
本文が五行の古びた書状の写真

信長朱印状

信長朱印状の概要
名称 信長朱印状
ふりがな のぶながしゅいんじょう
員数 1通
時代 安土桃山
年代 永禄10年
西暦 1567年
作者 織田信長
構造・形式
寸法・重量
面積
和紙
縦 34.5センチメートル
横 47.5センチメートル
指定番号 北重第20号
指定年月日 昭和35年8月31日
信長朱印状が収蔵されている円鏡寺の位置図詳細は以下

岐阜県本巣郡北方町北方1345の位置図

信長朱印状の概要
所在地 岐阜県本巣郡北方町北方1345
所有者 円鏡寺
所有者住所 岐阜県本巣郡北方町北方1345
管理者 円鏡寺
特筆事項 織田信長(1532~1582)は、戦国時代の武将。

解説

信長が永禄十年(1567)に円鏡寺に宛てて出したもの。
「当寺法度、先規の如く為す可し、新儀の諸役非分、宥免(ゆうめん)せしむ可き者也、仍って状、件の如し」とある。この年に信長は岐阜市内で禁制、安堵(あんど)状を集中して出している。九月には北加納村宛、崇福寺宛、千手堂宛、また十月には手力寺内(手力神社)宛、美江寺宛、加納楽市場(円徳寺)宛、阿願寺宛など目白押にならんでいる。この円鏡寺宛の状も、これら(岐阜市内に出された状)信長美濃経営推進政略の一環のものと思われる。
この時代の文書は、いわゆる祐筆が代筆し花押のみ自書する習慣で、時代相を知る上でも重要な資料として保存の価値が高い。

修理等の履歴
年月日 内容
年月日  
説明板
有無・設置者 なし
材質等  
老朽度等  
縦長の木製の箱が三つ並んでいる写真

写真1

漆塗りの黒い箱とその中身の古い書状の写真

写真2

本文が五行の古びた書状のアップのモノクロ写真

写真3

縦長の金字の黒い箱と二枚の黄ばんだ書状の写真

写真4

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会

〒501‐0492
岐阜県本巣郡北方町長谷川1丁目1番地
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