矢部正子遺墨
ページID : 2812
番号 | 69 |
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指定別 | 町 |
種目 | 書籍 |
種別 | 美術工芸品 |

矢部正子遺墨
名称 | 矢部正子遺墨 |
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ふりがな | やべまさこいぼく |
員数 | 1幅 |
時代 | 江戸 |
年代 | 延享3年~安永2年 |
西暦 | 1746年~1773年 |
作者 | 矢部 正子 |
構造・形式 寸法・重量 面積 |
墨書部分 縦 23.5センチメートル 横 17.7センチメートル 絵画部分 縦 33.1センチメートル 横 27.0センチメートル |
指定番号 | 北重第50号 |
指定年月日 | 昭和58年4月12日 |

岐阜県本巣郡北方町北方の位置図
所在地 | 岐阜県本巣郡北方町北方 |
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所有者 | |
所有者住所 | |
管理者 | |
特筆事項 | 小笠原美治著「大全明治新百人一首」に「なく雁の 声もはるかに へだたたりて つばさ消行 秋ぎりの空」と記載された矢部正子の歌がある。 |
解説
延享3年北方村矢部善左衛門の娘として生まれ、京都で小沢盧庵の門に入り和歌と書を学んだ女流歌人。
遺墨は美しいタッチで次のように書いてある。「雪はまだ 消えはてねども 春山のみどりをそへて かすみたなびく」
正子は茶の湯、香道、薙刀に秀いで26才のとき江戸に出て肥後細川侯54万石の姫に書道、和歌、薙刀を教えたが、その才能を同僚に妬まれ職を去った。安永2年(1773)、29才で薄幸の生涯を終えた。
年月日 | 内容 |
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年月日 |
有無・設置者 | なし |
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材質等 | |
老朽度等 |

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この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会
〒501‐0492
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更新日:2025年03月25日