北方陣屋跡

更新日:2025年03月25日

ページID : 2765
分類
番号

22

指定別

種目 史跡

種別

史跡
周りに木と家が建つコンクリート造りの交差点の写真

写真 大井神社より南を見る

北方陣屋跡の概要
名称 北方陣屋跡
ふりがな きたがたじんやあと
員数 1箇所
時代 江戸時代
年代 寛文9年
西暦 1669年
作者 戸田孫七郎光賢
構造・形式
寸法・重量
面積

敷地は大井神社南天王川沿いの一帯

指定番号 北史第5号
指定年月日 昭和30年9月30日
北方陣屋跡の位置図詳細は以下

岐阜県本巣郡北方町北方260~274の位置図

北方陣屋跡の概要

所在地

岐阜県本巣郡北方町北方260~274
所有者  
所有者住所  

管理者

 
特筆事項

標柱 〆切門跡
H=1.18メートル10センチメートル角(ステンレス製)
標柱 奉行屋敷・米蔵・代官屋敷(3本)・(化成舎跡)以上すべて
H=1.05メートル 5センチメートル角(ステンレス製)

解説

北方旗本五千石戸田孫七郎家は、初代・光賢が寛文八年(1668)分知をうけてから、七代・光遠が明治二年(1869)に版籍奉還をするまでこの地に陣屋を置いて、北方、春近、郡府、石原、福田地、三橋、仏生寺、加茂の八ヵ村を治めていた。
大井神社南天王川沿いの一帯は陣屋の跡地で、役所を中心に、米庫、撃剣道場、化成庠(学問所)などがあって、その周囲には奉行屋敷、代官屋敷などの家臣の屋敷が置かれ、5千石の陣屋に相応しい堂々たるものであったといわれる。

修理等の履歴
年月日 内容
平成17年 標柱(ステンレス製)設置
平成23年2月 標柱(ステンレス製)北〆切門設置
説明板
有無・設置者
材質等 鉄製
老朽度等 屋根一部塗装剥げている。
木の隣に説明版が設置されている写真

写真1 説明版

屋外に設置された説明版がアップで写されている写真

写真2 説明版アップ

南〆切門跡に設置された灰色の標柱の写真

写真3 標柱(南〆切門跡)

北〆切門跡の曲がり角に灰色の標柱が設置されている写真

写真4 標柱(北〆切門跡)

柵の内側に設置されている奉行屋敷跡の標柱の写真

写真5 標柱(奉行屋敷跡)

米蔵跡に設置された灰色の標柱の写真

写真6 標柱(米蔵跡)

植物の近くの代官屋敷跡に標柱が設置されている写真

写真7 標柱(代官屋敷跡)

用水路の上の生垣に設置された灰色の標柱の写真

写真8 標柱(代官屋敷跡・仮成舎方向)

代官屋敷跡に設置された灰色の標柱の写真

写真9 標柱(代官屋敷跡)

慶応年間の北方陣屋跡地図

慶応年間の北方陣屋跡地図

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会

〒501‐0492
岐阜県本巣郡北方町長谷川1丁目1番地
電話番号:058-323-1115
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