北方城跡

更新日:2025年03月25日

ページID : 2763
分類
番号 20
指定別
種目 史跡
種別 重要文化財
住宅地に囲まれた土地に説明版と白い石柱が立っている写真

北方城跡

北方城跡の概要
名称 北方城跡
ふりがな きたがたじょうあと
員数 1箇所
時代 安土桃山
年代 応仁
西暦  
作者  
構造・形式
寸法・重量
面積
面積 140.8平方メートル
指定番号 岐史第117号
指定年月日 昭和43年11月11日
北方城跡周辺の地図詳細は以下

岐阜県本巣郡北方町北方249の位置図

北方城跡の概要
所在地 岐阜県本巣郡北方町北方249
所有者 北方町
所有者住所 岐阜県本巣郡北方町長谷川1-1
管理者 北方町
特筆事項 石柱 高さ=2.1メートル 26センチメートル角(県)
石碑 高さ=1.2メートル 幅0.8メートル 厚13センチメートル(町)
家系碑 高さ=1.6メートル 幅1.0メートル厚12センチメートル(町・協)
平成13年6月28日に大野しげ子氏より寄付される。

解説

北方城は、伊賀太郎左衛門光就が築城し、居城とした。光就の曾孫安東伊賀守守就は斎藤氏の滅亡後、織田信長につかえ、元亀元年(1570年)6月の姉川の合戦、翌年の長嶋一向一揆討伐に参戦して大功をたてた。
天正8年(1580年)嫡子河渡城主尚就が甲斐武田氏と内通したという嫌疑で信長の勘気を受けたので、守就は北方城を出て武儀郡谷口村(現関市)に蟄居した。信長は守就の故領を収めて稲葉一鉄に預けた。
天正10年6月2日織田信長が、京都本能寺で明智光秀に害せられると守就は一族旧臣を集め北方城に拠ったが、稲葉一鉄・貞道父子に攻められて落城した。(これを、北方合戦という。)
地籍図中の大井神社東側を西北の隅として、水路で囲まれた東西160メートル、南北340メートルの部分が北方城跡と推定される。北方城はいくつもの屋敷地を含みながら堀で周囲を囲まれていたと考えられる。城跡の内部は、更にいくつもの水路によって区分されており、防御性を高める役割を果たしたと推定される。
現在の史跡は、本丸の跡の一部であると考えられている。

修理等の履歴
年月日 内容
昭和48年3月 石積み改修
平成14年10月 伐採および外周整備
平成15年9月 土留工及び敷地内整備
平成23年3月 説明板及び敷地内整備
平成24年1月 説明版一部修復工事
説明板
有無・設置者 有町
材質等 コンクリート
老朽度等 良好
家系図が書かれている御影石で出来た大きな四角い石碑の写真

写真1 家系碑(御影石)

「史跡北方城址」と刻印された白い石柱の写真

写真2 石柱

屋外の北方城跡に設置された説明版の写真

写真3 説明板

北方城跡の位置を示した周辺の地図の写真

写真4 説明板(拡大)

古い漢字の文字が彫られた大きな石碑の写真

写真5 石碑

水路脇の赤い灯篭の街灯の近くに設置された北方城跡へ赤い矢印で示している看板の写真

写真6 案内看板

晴れた空の下住宅街に草が生えている状態の空き地の写真

写真7 整備前

生い茂る竹林の中に説明版と石碑がひっそりと佇んでいる様子の写真

写真8 整備前

年号が記されている家系碑裏側のアップの写真

写真9 家系碑(御影石)修正後

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会

〒501‐0492
岐阜県本巣郡北方町長谷川1丁目1番地
電話番号:058-323-1115
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