美濃派俳諧水上道場跡

更新日:2025年03月25日

ページID : 2761
分類
番号 18
指定別
種目 史跡
種別 無形文化財
左手に説明の看板がありその脇に木々に囲まれた細い砂利道がありその奥に附句碑が見える写真

美濃派俳諧水上道場跡 附句碑

美濃派俳諧水上道場跡の概要
名称 美濃派俳諧水上道場跡 附句碑
ふりがな みのははいかいみなかみどうじょうあと つけたりくひ
員数 1箇所、25基
時代 江戸
年代 文化4年
西暦 1807年
作者 雨岡庵古梁坊
構造・形式
寸法・重量
面積
宅地 49坪
蓮塔句碑 25基
指定番号 岐史第16号
指定年月日 昭和31年3月28日(道場跡)
昭和29年11月13日(句碑)
美濃派俳諧水上道場跡がある西運寺周辺の地図詳細は以下

岐阜県本巣郡北方町北方1554の位置図

美濃派俳諧水上道場跡の概要
所在地 岐阜県本巣郡北方町北方1554西運寺
所有者 西運寺
所有者住所 岐阜県本巣郡北方町北方1553
管理者 北方町
特筆事項 石柱(大)高さ=2.0メートル 27センチメートル角(県)
石柱(小)高さ=0.9メートル 15センチメートル角(協)

解説

美濃派俳諧水上道場は、月光山西運寺にある。芭蕉翁の正風を継承した美濃派獅子門第4世五竹坊がその子弟を指導したところであり、境内には歴世道統宗匠の卵塔が建ちならぶ。
ここに道統歴代の卵塔を建て正風俳諧句吟の道場としたのは五竹坊の発願によるものであり、その建設のため全国の同好の者に喜捨を仰いだ。生前に志成らず第7世雨岡庵古梁坊に至っ五竹坊の素志が成就し、文化4年(1807)10月12日芭蕉正忌の日にその供養を営んだ。
連塔はもと境内の西北にあったが、明治24年(1891)の震災により諸堂大破したので、明治32年(1899)10月現在の地に移した。

修理等の履歴
年月日 内容
明治32年10月 蓮塔を現在の位置に移す
昭和62年 銅板屋根の二脚門建設
平成24年1月 説明版(ステンレス製)設置
説明板
有無・設置者 有町
材質等 鉄製+ステンレス製
老朽度等 新設済み
四角い石が3段に積み重なりその上に乗っている句碑が4つ横に並んでいる写真

写真1 句碑 正面

建物に囲まれた砂利のの地面の広場に四角い石が3段積まれた句碑がL字に並べられている写真

写真2 句碑北側

砂利の地面に3段に積み重ねられた石の句碑が横一列に並べられその奥に井戸がある様子の写真

写真3 句碑南側

句碑の説明版の写真

写真4 説明版

瓦屋根の門の近くに文字の書かれた大きな石柱が立っている写真

写真5 石柱(大)

木々の横に日陰に隠れるようにして文字の書かれた小さな石柱が立っている写真

写真6 石柱(小)

砂利の地面に赤紫色の枠の説明版が設置されその左側に造られた木々に囲まれた細い砂利道の奥に句碑が並んでいる様子の写真

写真7 昔の様子

「岐阜県史跡」と書かれた説明版の写真

写真8 説明板(古)

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会

〒501‐0492
岐阜県本巣郡北方町長谷川1丁目1番地
電話番号:058-323-1115
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