弘法大師空海 ゆかりのまち 岐阜県北方町

弘法大師空海 ゆかりのまち 岐阜県北方町のタイトル

表紙・トピックス>町長のページ(現在位置)

北方町長 室戸英夫のプロフィール

室戸町長の写真

 生年  1942年(昭和17年)11月29日

 出身  岐阜県美山町(現 山県市)

 略歴 
 昭和37年
   一宮高校卒業
   岐阜県労働金庫(現東海労金)入庫
 昭和54年
   北方町議会議員当選、以降7回当選
   議長、副議長など歴任
 平成19年
   北方町長就任
 平成22年
   北方町長再選(二期目)
  

 趣味  仏像鑑賞、読書

座右の銘 自利利他(自らの利益を他人に転ずる)

尊敬する人物  梅原 猛(哲学者)

 こんにちは、北方町長の室戸英夫です。
北方町の行政面積は5.17kuで、平成22年の国勢調査では、18,397人、人口密度は3,558.4人/kuと県下一小さい町ながら人口密度では県下一高くなっています。人口も増加傾向で増加率では県下三番目の伸び率であります。
 このように生成発展できるのは、県都岐阜市と隣接し、名古屋市の通勤圏にある立地条件のほか早くから社会資本整備を進めたことが、家族で暮らし、人生を送るに相応しい。つまり、住むに値する町として評価いただいているのだと思います。
 今や、「権利と要求の時代」が終焉しこれからはもう一段高い「自治と連帯の時代」に進みます。私は、日本に本当の民主主義を育てるのは地方自治体だと思っています。
言葉を変えれば、仕事の場所と暮らしの場所で民主主義が根付いてこそ本物の民主主義のシステムが出来上がるのです。
 北方町では「住民参加の草の根民主主義」を標榜してまちづくりの取り組みを進めています。具体的には、公募による政策審議会や町内各地での住民対話集会や住民アンケートなど直接民主主義の手法を取り入れて「民主主義の実験」を試みているところです。
住民と行政が意見をぶつけ合える機会を多く作りながら「参加で育てる町づくり」「自治と連帯の社会」の実現を目指しています。
 この実験が、これからの時代を生きる高いレベルと深い課題であると共に、壮大な事業であることを認識して、人と人、心と心がつながる、やさしい町づくりを推進していく決意です。

平成24年5月

 日本で最初の銀行をつくった渋沢栄一は職員への訓示で「論語と算盤を一致させよ」と言った話はつとに有名ですが、これは仏教の自利・利他業に発するものです。
近江商人の「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の“三方よし”の思想も同じでしょう。
東日本の被災地復興の募金やボランティアの心構えにも通じます。
 対局にあるのが古(いにしえ)の一宮商人です。近隣農村を行商する彼らは、その悪徳さから「一宮カラス」と言って疎まれました。
 現在の東京電力は差し詰め「黒いモンスター」でしょうか。
「反省なし」「謝罪なし」「情報なし」の“三方なし”は、この会社がいかにむき出しの我欲に狂う経営者集団かが判ります。
 原発事故以降の所業の数々は、往年の「一宮カラス」など比ではありません。

平成24年4月

 日本人の道徳の根源は仏教の「利他」「布施」の考え方です。
ところがアメリカ型の「個人主義」の横行によって、自分以外を愛せない人が多くなりました。
 最近の調査では、夫婦と子供2人の「標準家族」より単身世帯の数の方が多いと言います。
人間同士のつながりの最小単位である「家族」が崩壊しつつあるのです。「家族」が崩壊し、1人ひとりが孤立する社会が健全であろう筈がありません。
 2月、東京都立川市で障がいがある4歳児と母親が、3月には、95歳の認知症の母親と介護者の娘63歳の孤立死が連続しました。「個人主義社会」の行き着く先は「孤立」です。
 見返りを求めず、声掛け合い、励まし合って生きることの大切さを思います。人間は、1人では生きられないのですから―

平成24年3月

 北方中学校では、3月9日、234人が巣立ちます。
今年も卒業式での「祝辞」の起草に悩みました。
 伝えたいことは、ごまんとあるのに、多感な年ごろに呼びかける言葉に迷います。
 とりわけ、経済優先、市場原理主義がこの国を覆い、「格差社会」の広がった悪い時代をどう生きるかを16歳に語ることの難しさには思案投げ首でした。
 先の福島原発事故の政治家や官僚、東電にみるエリート達の隠蔽体質は「社会規範」も「公共性」もない「自己破壊的な利己主義」以外ありません。まるで「醜悪な戯画」を見るような思いです。
 子どもの行動は、大人の「模倣」です。
 「共に生き合う純真な心と物事に対する誠実で創造的な人間になって!」と呼びかけるつもりです。

平成24年2月

 2月14日は、バレンタインデーです。その由来は、ともかく、女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る日本特有の習慣になっています。
 「義理チョコ」「友チョコ」「逆チョコ」などあるそうですが、さしずめ私に届くのは「お恵みチョコ」といったところでしょうか。
 何であれ、男にとって女性からのプレゼントは嬉しいものです。ついつい、「あの人は自分をどう見ているのだろう」「何を思って買ってくれたのだろうか」などと考えると年甲斐もなく心のときめきを覚えます。1か月後には3倍返しのホワイトデーが待ち構えていることなど忘れてです。
 我々が生きる上で最も大切なのは、心の通じ合いです。それが源泉となり生きる勇気となるのです。そう考えるとバレンタインデーも満更ではありません。

平成24年1月

 子どもの頃のお正月の楽しみの一つは「かるた」遊びでした。
我が家では、父が読み手をつとめる百人一首の散らし取りでしたがその内の一首「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」(平兼盛)が何故か私は好きで、この札だけは取られまいと必死だったことを覚えています。
 恐らく他の和歌に比して平易な言葉づかいとリズム感の良さが魅力的だったのでしょう。
 昔の恋愛は、夜に活発で自由だったようですが、忍んだ恋がバレて困惑する様子がまるで戯曲のようでロマンチックに映ります。
現代人なら携帯メールの短文で味も素っ気もなく、巷に、恋の浮き名が流れる頃には別れて終わっているに違いありません。
 お正月のめでたさも、情緒もない今様は、心のときめきや緊張の瞬間も失うのでしょうか。

平成23年12月

 マリナーズのイチロー選手がアメリカで10年間続けた200本安打と打率3割の記録が今シーズンで途絶えました。
 「ようやく記録を続けることに追われることがなくなって、ホッとしている」との本人談話を読みながら「イチローは“空”の実践者」と評された哲学者梅原猛さんの言葉を思い起こしました。
 私たちは、競争社会を生きています。「競争」は「勝つ」ことを求めます。その結果、執着、羨望、嫉妬、劣等感を抱き、苦しみが忍び寄り心を乱します。悪循環の連鎖です。
 過去を追わず、未来を願わず、今なすべきことを努力することが自分を苦しめず、自分の能力を損なわないことに彼は気づいているに違いありません。こだわらない、とらわれない心で来季も素晴らしい活躍をしてくれることでありましょう。

平成23年11月

 東日本大震災の復興増税議論が佳境です。
政府案では、所得税4%(10年間)住民税500円(5年間)たばこ税1本当り2円を付加する一方で、法人税は、予定していた5%の税率引き下げを3年間凍結するという痛みの伴わないものです。
 '92年。スウェーデンが不良債権、金融不安、財政赤字、不況という4つの困難に遭遇した時。一般国民は失業手当や疾病手当、児童手当の引き下げで、豊かな国民は、富裕税の5%アップで痛みを分け合って財政再建を果たしました。
 それに比して、何んと奸智(かんち)に長けた我が国の増税光景でしょう。そうでなくても所得税の最高税率が20年余の間に70%から40%に引き下げられているのに。
 せめて、良識を失い何かと邪魔立てする参議院の廃止を俎上にのせるぐらいの見得をと思うのは愚かでしょうか。

平成23年10月

 9月定例議会で「北方町非核平和都市宣言」を制定していただきました。全会一致の決議です。
日本の平和は、66年間も続きました。近代日本にとっては初めての長期平和の経験です。
 9月8日、民主党の前原政調会長は、訪れたワシントンで「武器輸出三原則」とPKOでの自衛隊の「武器使用基準緩和」の見直しを表明しました。日本国憲法は、前文と九条で「戦争をしない」ことを決めています。前原発言は、どう考えても「戦争をしたい」という解釈以外できません。
 私たちは先の大戦の犠牲の上に平和を享受してきました。この間、九条二項の戦力の不保持は空洞化しましたが、九条の「戦争放棄」と「交戦権否定」は守られています。
 「非核平和都市宣言」は、憲法を守り町民一丸で平和の創造者になることを決意した証です。

平成23年9月

 久方ぶりに薬師寺を巡りました。丁度、東塔大修理着工法要が営まれており大勢のお坊さんが汗びっしょりで参詣者の接待をされていました。
 その中に山田法胤管主(旧根尾村出身)の姿をお見受けしたのでお願いしてご一緒に写真を撮らせていただきました。
凡そ管主などの高僧が自ら額に汗して陣頭に立つ姿を知りません。師の人柄を深く感じました。
 時間を過ぎて、わが町のシンボル圓鏡寺の新住職とお会いする機会に恵まれました。好漢31才の青年僧には名刹圓鏡寺再興への大きな期待が掛かります。
 山田管主の相貌が備わるまでは時間も必要でしょうが、地域に愛され、悪い時代を生きる多くの悩める人々を導いて欲しいと願っています。北方町と協働で新しい門前町を―夢見ています。

平成23年8月

 東京の医師が偽の養子縁組をして自分に生体腎移植をした事件が発生しました。
 医師でありながら違法な行為をお金で処理する容疑者、偽りの報告書を作成して加担する弁護士、徹底した調査をお座なりにして金儲けに走る病院。その上執刀医は、平成18年の宇和島臓器売買事件でも疑惑があった人物です。
 登場人物に共通するのは、知識人で社会的に高い地位にありながら道徳心、倫理観の欠片もない狡猾で貪婪な人達です。
この傲慢さの表れが今回の事件に繋がったに違いありません。
 つくづく学歴(知識)があっても蓄えを多く持ってもよく生きる、正しく生きることにはつながらないのだと知らされました。
名誉やお金に捕われて生きることは心が貧しくなっていくことです。
 これからは、心の時代です。

平成23年7月

 内閣府幸福度研究会なる大学教授ら有識者でつくる団体が「震災からの復興と幸福度検討の意義」を発表しました。それによると日本人の幸福度を三つの要素(経済・健康・人間関係)から検討するとしています。そして今般の震災を契機に被災者の幸福の価値観や人生観がどう変わったか。希望や幸福を感じる為の優先度を調べるに同会の幸福度指標が役立つと嘔っています。
 思うに「幸福度」を経済や数値で測るなど胡乱です。国民の九十七%が幸福だと感じるヒマラヤの小国ブータンでは過ぎたる開発や経済発展より自然や文化を守ることが国民の「幸福度」に繋がっているのです。
 今回の原発事故で経済成長よりも原発のない暮らしが「幸福」だと多くの人が感じ始めたに違いありません。「正見」(正しいものの見方)こそ大事です。

平成23年6月

 かつて「時代の寵児」と持て映やされた元ライブドア社長堀江貴文氏の実刑が確定しました。
記者会見で「すべては諸行無常」と発言する彼の倫理観が気にかかります。
 「諸行無常」とは、この世に常なるものは何一つ存在しないと言う仏教の根本思想で、物質的現象には実体がないという「色即是空」「空即是色」(般若心経)の教えへと受け継がれています。
 「お金で買えないものはない。愛もお金で買える」とうそぶいて目に見えるもの(お金)に執着し、会社の乗っ取り、粉飾決算とマネーゲームを繰り広げた拝金主義の行き着いた先が二年六か月の懲役だったのです。
 彼に求められるのは、一人一人の命や心と神や仏への畏敬の念です。つまり目に見えないものを大切にする「空」なる生き方です。

平成23年5月

 東日本大震災で、私たちは人知を超えた存在の恐ろしさを知りました。この地震と津波と原発の爆発を「想定外」で片付けてはなりません。平成二十一年、原発の耐震安全性を検討する審議会で「貞観地震(M8・4)」を上回る津波襲来の可能性が指摘されたが東電は「歴史上の地震で設計上考慮する地震でない」と答えていることが明らかになりました。
 世界一と豪語した防波堤も原発安全神話も、凡そこの世に絶対も完全もないことを証明したのです。
 経済価値だけで生きている私たちは、違う価値観について考えなければならないように思います。
 人類だけでなく宇宙をも絶滅させる原発は廃止・廃炉の検討が急務です。
 「一切衆生」生きとし生けるものすべてが共存することが求められているのです。

平成23年4月

 そこまでして有名大学へ入りたいと予備校生を追い詰めたのは何だったのか?
 京都大学などの入試で起きたネットカンニング事件のことです。逮捕の是非や大学の対応、試験官の責任など専門家らしき人たちの談話を読み乍ら、私は、おそらく優秀であろう青年が利欲に惑う因縁を思いました。
 日本社会は、相手を蹴落としていい大学に入ることが人生の幸せを保証するかのような錯覚を植え付けますが、学校は知識は教えるが智慧を教える所ではありません。
 かの青年には、カンニングをすればどういうことが起きるか、家族が、友人が、周囲の人がどんな辛い思いをするかを考える智慧が無かったのではないでしょうか。
 立派な学歴があっても智慧が無ければ、人は果てしなく愚かになるのです。「知識より智慧」です。

平成23年3月

 国の借金総額が九百兆円になり国債の新規発行額が四十四兆円。国内総生産(GDP)比八パーセントになるといいます。
人口減少社会が将来世代の重荷になることは素人の私でも判ります。
 未だ生まれてもいない人たちからの借金で私たちは身分不相応な豪華な暮らしをしていることに気付かなければなりません。
 すべての人が少しずつ生活水準を下げる覚悟が必要です。
菅さんも「日本の財政は深刻です」と緊急事態を宣言し「満ち足りた心で生活して下さい」と国民に呼びかけたらどうでしょうか。
 欲望の趣くままに競争原理に立脚して負け組の不幸の上に得る勝ち組の幸福などという奇妙で非人間的な欲望を捨てることです。
「競争」から「共生」へと発想を変えて、みんなが幸せに生きることが人間本来のあるべき姿です。

平成23年2月

 昨年の自殺者が三万一千五百六十人との統計数値が警察庁から発表されました。
前年より一千二百八十五人減りましたが十三年連続で三万人超の死は一寸した戦争状態です。
 キリスト教は「十戒」で仏教は「五戒」で殺してはならない(不殺生)という戒律を大切にします。無論、自殺も対象であることは言うまでもありません。
 自殺の原因を計ることできませんが、男性が女性の二・四倍と圧倒的に多いのは、不況の長期化が原因でしょうか。
或いは、行き過ぎた個人主義、利己主義で地縁、血縁が切れた「無縁社会」の結末なのでしょうか。
 「命こそ宝物」。人間としてこの世に生きていること自体が有難いと感謝できる社会、人を生き生きとさせる国づくりこそ急務です。

平成23年1月

 昨年は北朝鮮による韓国領延坪島砲撃事件、尖閣諸島中国漁船衝突事件と平和に関わる問題が勃発しました。
 これに反応するように政府は新たな「防衛計画の大綱」を策定し南西諸島防衛を軸に中国の脅威と警戒感を色濃く打ち出した上に武器輸出三原則の見直し協議を始めようとする気配すら見せました。
 三原則の見直しは、日本の武器を海外へ売ることを認めるかどうかを問うものです。
一たん軍需産業に依存したら、戦争しないと生きていけない国になることを忘れてはなりません。
プラトンは「国家論」で戦争回避のためには順番を間違えないことと論じています。
果たして、わが国の対応に「順番」の間違いはなかったのでしょうか?

平成22年12月

 もう十二月です。
振り返れば、この年も時間に追われる毎日でした。
人間は老いるため、死ぬために生きているようなものですからこの辺りで時間との戦いを小休止してそろそろ老い方、生き方を考えることの必要を思ったりします。
 携帯電話に熱中する若者の姿に孤立と無縁社会で言語や文章が失われていく気配を感じます。
いかにIT(情報技術)が進歩発展しても、人間をまるで機械のように扱う風潮は人として生きる上で最も大切な心の通じ合いを置き去りにしてしまいます。
世の中の物事は、すべてが他の要素と関連しあって存在している事実を思うと、沢山の「縁」に生かされていることに感謝して、年齢を意識せず、自分を見失わず、人間らしく生きることが大事だとの思いを強くするのです。

平成22年11月

 この秋は多くの死別に会いました。同日に二人の葬儀に駆け付けることもありました。私にとって姉のような存在の人だったSさんもその中の一人です。
 彼女はご主人のお世話を長くされたあと一人暮しの生活でしたが、とても七十三才には見えぬ若々しさで、自転車が苦手で買物など何時も歩きでした。背筋をピンとして足早に歩を進める姿には嫋々とした美しさがありました。
 そんなお元気なSさんが九月末誰にも看取られず忽然と亡くなりました。いつもお会いすると「評判いいよ、頑張ってね」「町長随感楽しみにしてるわ」などと声掛けて下さって、時として呻吟する私を励まして下さいました。
 美しく老い、美しく死ぬことは万人の願いです。それを成し遂げたSさんは人格と共に素晴らしい人生でした。ご冥福を祈ります。

平成22年10月

 財政危機を契機として国も地方も改革が進んでいます。
財政、行政、組織改革など何れも重要でありますが、私は町民のみなさんの求めはそれだけに留まらず、窓口の接遇を含む職員の意識改革だと思い接遇研修をしたり折に触れて口出ししたりして来ました。
 8月、来庁者に「窓口アンケート」をしました。結果は「大変満足」「満足」が77・27%。「大変不満」「不満」が2・35%でした。前回調査(19年)ではそれぞれ69・6%と3%でしたから職員意識の変化をうれしく思います。
 最近の若者はリアクションの薄さが気になりますが、与えられた仕事に取り組むまじめさは私たちの時代の比ではありません。
 彼らの自発的な「気配り」ですべての来庁者を気持ちよくお迎えできる日も遠くないでありましょう。

平成22年9月

 町立図書館のトイレで大量の吐下血で苦しむ老人が発見されました。辛うじて一命を取り留めましたが、八方手を尽して探しあてた長女夫妻は「係わりたくない」とケンもホロロ。
 今の社会は、一体何を信じ、何を軸として生きたらいいのでしょうか。簡単に親を捨てる、幼い我が子を虐待死させるなどの事件の頻発は社会全体の質が劣化して、最悪の時代が到来しているように思えてなりません。
 人間として最高の道徳は「慈悲」の心を持つこと、とは釈尊の教えです。その意味は、人間同士、お互いに苦しみ悲しみを分かち合い愛情をもって生きよ!ということでありましょう。
いわんや、肉親・親子ならばなおのことと思うのです。
 心さびしい時代です。

平成22年8月

 ある中学校の女子生徒が同じ学校の生徒を裸にし、その動画を他の生徒にメール送信した事件がありました。と思ったら今度は同じ学校で男子生徒への暴力事件が起きました。
 大人社会ばかりか子ども社会も悪い時代の深化が進んでいるようで何とも切ない思いです。
二つの事件の悪質さには人としての質の劣化を驚怖するのみです。
 その上、学校長と教育長の新聞談話を見て感じるのは、二人の教育者には「いじめ」と「犯罪」の区別すら認識出来ていないのではないかということです。事件が友達への接し方「モラル」の問題なのか。犯罪に該当する「ルール」違反なのか。或いは医師の対応が必要な「病的」要因なのかの視点で原因を追究・特定して除去するとの発想の不足が気懸かりです。

平成22年7月

 「普天間問題で鳩山首相退陣!」のニュースを大した驚きもなく聞きました。
本土防衛の盾となって壊滅的な打撃を受けた沖縄に、その後65年間という永きに亘り犠牲を押しつけておきながら、大阪府知事を除いてどこの知事もその負担を共有しようとしない非情さの方が何倍もの驚きです。(全国知事会議5/27)
 一方で日米同盟の基軸を説き、米軍基地の必要を口にする欺瞞と無責任さは、鳩山内閣の「失政9カ月」とどちらが罪深いのでしょうか。
 全国どこも引き受け手のない「基地」は詰まる所、日本に「基地はいらない」という「国民総意」なのではないでしょうか。であるならば、前首相の「国外、最低でも県外」発言は満更でもないと今更ながら情に掉さしたくなるのです。

平成22年6月

 WHO(世界保健機関)の発表によると我が国の平均寿命は83歳でイタリア半島の小国サンマリノと並んで首位を堅持しました。
 高齢化社会を恐れることはありませんが、私は日本国の「老人化」を恐れます。国債残高が5百53兆円、岐阜県でも今後3年間は9百億円超の財源不足だといいます。
 右肩下がりの財政状況は未だ未だ続きます。そして、この国は確実に衰えていきましょう。国の「老人化」とはそういうことです。
 しかし、この世は「諸行無常」です。すべてのものが生と死の循環です。今の不況も永遠ではありません。国が滅びても無くなる訳ではないのですから「堪え忍ぶ」覚悟があれば恐れることはありませんが、さて、はて?その覚悟が暖衣飽食に浸かる私達にできるでしょうか。

平成22年5月

 役場には苦情やお叱りが多く寄せられます。その都度、職員は悩んだり苦しんだりします。無論、時として嬉しいことに励まされたりもします。
 八十才のお母さんの介護相談に来られた男性から職員の親切な応対に感激したと過分なご寄付をいただきました。
 窓口職員と包括支援センターの保健師や社会福祉士が連係して機敏な対応をしてくれた結果です。おそらく職員は当たり前に仕事をしたに過ぎないとの思いでしょうが、役所特有の指示待ちや先送りをせずに「住民の視点」で行動するという意識変革が嬉しい限りです。それにも増して、一寸したことにも感謝の気持ちを忘れない男性の心が美しい。
 毎日を不満を抱えて生きている我が身を恥じ入るばかりです。

平成22年4月

 新旧が入れ替わる季節です。
今年の退職者は5人、新規採用は4人です。
新人には公務員特有の前例や慣習、常識にとらわれずに創造的な仕事をして欲しいと願っています。
 先輩や上司のすべてが優秀で人格者とは限りません。保守的な先輩や上司の考えと対立し、孤独になっても、それに堪える力を持たなくてはなりません。
 何となく出勤して何となく帰宅する人、要領だけの人、駆け込み出勤で朝の掃除をサボる人などが居るかも知れません。そんな後ろ向きな人の力学に自分の気持ちが靡いたら、辞表を出すぐらいの覚悟や勇気も必要です。
 私たちの給料はすべて額に汗した町民の税金で調達されていることを忘れないで欲しいのです。

平成22年3月

 日本航空が破綻したと思うと今度は世界のトヨタがリコール問題で窮地に立っています。
昨年は、社会保険庁すら解体されました。少し古い話ですが、拓銀、長銀が潰れ、カネボウ化粧品や不二家が買収されたりもしました。こうしたことを思うと私たちは、ともするといい大学に入ることがそのまま将来を約束されると学歴志向に陥りがちですが、先の例を見れば大企業や公務員への就職が一生を保障するという神話は崩れています。
 人間には点数だけでは測定出来ない未知の能力があることや地位や学歴では乗り越えられない苦難にも出会うことがあるのです。
「いつでもやり直しがきく社会」こそ人生をより良く生きることに通じるのだと思います。

平成22年2月

 内閣府の発表によると「結婚しても子どもを持つ必要はない」と考える女性が46.5%を占めるそうです。
 年齢別で見ると二十代女性の68.2%、三十代女性の61.4%にのぼります。更に、結婚について「しなくてもいい」との回答が70%です。
若い世代の意識変化と片付けてよいものでしょうか。
 そんな折り、政府は「子ども手当」の支給を決めました。
未来の担い手を社会が育てるという理念には大いに賛同しますが、「子ども手当」を出す前に、子どもを産み、命を育てる自覚と倫理感を教育することが先だと思うのは御節介が過ぎるでしょうか。
 母親が欲望を抑えて、子どもを育てる姿こそ尊いものはありません。

平成22年1月

 「学校は勉強する所」で「楽しくない所」と感じていた。しかし、2年生になって、なり手のない合唱委員に推され、僕の思いは変わった。
 クラスのみんなが助けてくれて気持ちのこもった合唱をしてくれた。仲間と共に頑張れる学校生活の楽しさに気付いた。掃除も授業も一生懸命取り組むようになった。学校は勉強するだけの場所ではない。勉強が出来るだけでも駄目だと思った。
(北中2年・藤田君)
 少年の主張大会での発表を聴き乍ら、授業外の学校行事や活動が人としての成長に果たす教育的役割に気付く14才の成長ぶりに感激しました。 そろそろ、我が子をどんな人間に育てたいか、社会の中で生き抜いていける力をどのように育んでいけば良いのかを大人が気付く時ではないでしょうか。

平成21年12月

 気が置けない仲間と広島へ出かけました。何年振りかで立った原爆死没者慰霊碑の前で「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれた碑文に改めて反戦平和を誓いました。
 あの悲惨な戦争へと進んだ過失の責任の一端を担って「不戦」を永遠に誓い、命の尊さ、不殺生を後世に伝えることはせめてもの犠牲者への手向けだと思います。
 若し、学校教育に知識だけでなく智慧を授ける力量があるのなら修学旅行は、広島・長崎にして欲しいと私は思っています。
 東京やディズニーランドも良いけれど、社会人になれば彼の地へ行く機会はごまんとあります。
上野公園でなく、原爆ドームでの合唱こそが子どもたちの心を何倍も揺さぶることでありましょう。

平成21年11月

 JR福知山線の脱線事故で107名の命が失われてから4年が経ちました。線路脇のマンションに激突して原形を留めない報道写真に凍り付いた記憶が蘇ります。ところが事故調査委の調査情報がJR西日本の組織的な漏洩工作にさらされていたというのです。
 その上、調査にあたる調査委鉄道部会メンバーの4人中3人が旧国鉄関係者と言うのですから驚きです。これでは、最初から情報漏洩在り来の人選だったと思わずにはいられません。飲食でもてなし、挙げ句は委員会の報告書の修正まで画策したというのです。
 思うに、JR西日本という会社は安全より利益が優先という貪欲で、無反省で、愚かで、自分のおかれている状況がわからない集団ということでしょうか。

平成21年10月

 北方町の鳥に「カワセミ」が決まりました。
きっかけは、岐阜農林高校動物科学科のみなさんが5年間に亘って続けた環境指標生物の調査結果の報告を届けてくれたことでした。
 それによると、「カワセミ」の他に64種類もの野鳥が確認出来たとあります。
 静岡県知事の川勝平太さんは著書で「森の文化」を唱え、森の落葉は土をつくり、土がきれいな水をつくり、水は川となり海に流れて魚介類を育てる。自然を大事にすることこそ国家の品格、文化の基礎だと説かれています。
「カワセミ」の再来は「自然回帰」の証しです。近く「カワセミ探検ウォッチング」を開催して大勢の人と「自然の文明」をこの町に開花させる夢を共有したいと心躍らせています。

平成21年9月

 今年の夏も孫が来てくれました。1年生になったので一人だけの空の旅でした。
 せがまれて、キャッチボールやゲームに興じながら、やがて、この子が大人になって愛する人と結婚する時、私の命はどうなっているだろう…
 私が父母亡き後に居るように、私が死んでも息子が残り息子が逝っても、今、私と無邪気に遊ぶこの子が生きている。と想いを巡らせながら、生まれ変わり、死に変わりを繰り返して受け継がれる命の神秘と尊厳を思いました。
 日本の自殺者は平成10年以降、毎年3万人を超えています。市場原理主義を優先した結果、日本人はいかに生きるかの指針を失ってしまったのでしょうか。
 「殺すな」「殺させるな」人の命は繋がって、尊いものです。

平成21年8月

 ライクラ・サミットで温暖化ガス削減について、先進国の排出量を50年までに80%以上とする長期目標が合意されました。
 昨年の洞爺湖サミットで断念した新興国を含む50%削減へと前進することを願うばかりです。
 近代思想は、自然を征服することに執念を燃やしてきましたが、そろそろ人間だけが宇宙の中心的存在と考える思い上がりを改めることが必要ではないでしょうか。
 3月に完成した町制施行120年記念公園は560坪の小公園ながらベンチと樹木だけの「森の思想」を大切にしました。この公園の木の下で、私たちは神や仏に生かされて居ると気付いたら、自然との共生に悠揚(ゆうよう)とした心境になりましょう。

平成21年7月

 児童虐待事件が後を断ちません。その原因を専門家の多くは、彼らの「生い立ち」に求めます。「親の愛情を受けずに育った人」は「自分の子どもを愛せない」と・・・
 私には、尊敬する二人の青年がいます。A君は、幼児期からネグレクトに苦しみました。食事は、おかず無しでご飯だけを一人で食べたと言います。B君は、二階から突き落とされて顎骨を折ったり、手の指先をペンチで締め上げられたり、と恐怖の日々を語ります。でも、二人は今、立派に家庭を築き幸せにしています。
 彼たちに接する度に虐待する親の「責任感」の欠如こそが真の「原因」で「生い立ち」の所為にするのは責任の転嫁だとの思いを強くするのです。
 「子育ては親の責任」です。

平成21年6月

 4月に実兄が他界しました。長(なが)の患いでしたから何れこの日を覚悟していましたが、肉親の死は悲しみが増すものです。兄は、長男として私たち妹弟の面倒を良くみてくれて、私などは頭があがりませんでした。
 人間は死ぬと六種類の世界に生まれ変わる「輪廻転生」を繰り返すといいます。とすると、今は"中有"。兄の魂は近くで剣難(けんのん)な私の毎日を心配顔で見守ってくれているのでしょう。
 高田好胤師は「真の対話」は死に別れた日から始まると言われました。今、しみじみとその言葉を実感しています。七七日を無事通り、迷いの世界の「六道」から解放されて「涅槃界」で安穏な日々を送って欲しいと祈るばかりです。

平成21年5月

 今年度も6名の若者を北方町役場に迎えることが出来ました。厳しい就職戦線を思い拍手をしたい気持ちです。
 しかし、大学を卒業した能力が役場職員(社会人)としての能力とイコールではありません。パソコン操作が優れていても数字に強くても英語に堪能でも、そんなことはそれ程、重要ではありません。
 私は、職員のみなさんに「挨拶」「掃除」「身だしなみ」にうるさく口出しします。
 こうしたことに気を配る緊張感こそが、仕事ぶりに通じると思うからです。
 新人達には、全体の奉仕者としての使命感に燃えて礼節と思いやりを身につけて欲しい。そして「住民基点」で行政を創造する心意気を見せて欲しい。彼らの可能性を尊敬する故に要求するのです。

平成21年4月

 若田光一さんが三度目の宇宙旅行で3ヶ月半の長期滞在に挑んでおられます。
科学の進歩の素晴らしさを絶賛すべきでしょうか?
 頑迷固陋(がんめいころう)な私には、人工衛星で月や火星を赤裸々にされるより、中秋の名月に幼い日の「うさぎの餅つき」を思い、「竹取物語」のかぐや姫を連想するロマンチシズムの方が好きです。
 今、宇宙には1万個を超える人工衛星やロケットの残骸(宇宙ゴミ)があると言います。地球上だけで飽きたらず宇宙までも破壊へと導く人間中心主義の欲望は、やがて人類の生存をも脅かすに違いありません。
 「少欲知足」(欲望を慎み、足ることを知る)新装なった北方中学校プールに掲げてもらった言葉です。

平成21年3月

 この4月から孫が小学校に入学します。
 頭が良くて、立身出世して、お金持ちになって欲しい、と誰もが思う過大な願いもありましたが、最近はそんなことよりも丈夫な子に育って欲しい、何より思いやりのある人間に育って欲しいと思っています。
 いくら頭が良くても心がつめたく思いやりのない子では悲し過ぎます。
 点数で序列化し、高学歴が将来を約束する今日の教育のあり方に唯々諾々とせず。
 得手、不得手は文化の違いぐらいに思って可愛い孫の成長を見守りたいと思います。
 私が、この子にしてやれることは富や名声を残すことではなく「お前の爺は非道な奴だった」と言われないようにすることだと心しています。

平成21年2月

 数学者の藤原正彦さんは、日本の現状を「武士道」を捨ててしまったと憤られる。
 武士道の中核は「惻隠(そくいん)の情」だと言って・・・
 柔道も剣道も相撲でも日本古来のスポーツは「礼に始まり礼に終わる」ことを重んじ、相手への思いやりの心の大切にします。
 それにつけて思い出すのは朝青龍の初場所初日の相撲振りです。相手、稀勢の里は土俵を割り、力を抜いているのに左右のパンチはダメ押しの域を超えて不愉快でした。
 そして優勝時。土俵上での「万歳」は節度が過ぎると思ったのは、私一人でしょうか?
 「勝って驕らず」武士道精神を身につけてこそ真の横綱というもの。武道の特有性は闘志も喜びも内に秘めて戦うところに美学があるのです。

平成21年1月

 今年の新年は除夜の鐘を遠くに聞きながら迎えました。
 少年期、寒空の下、除夜の鐘を撞(つ)くのは、私に与えられた仕事の一つでした。父は、作業を渋る私に除夜の鐘の意味を「一年の苦しみを撞いて滅し、新しい心で新年をお迎えするのだ」と教えました。
 長じて、その意味が生・老・病・死の四苦(しく)と愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求否得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を合せた八苦(はっく)を「四苦八苦」といい、四苦が四九(しく)(三十六)、八苦は八九(はっく)(七十二)で合計百八となることから除夜の鐘は百八つ撞くのだと知りました。
 なんだか、語呂合せのように思えますが、成程、生きることは苦しいことです。しかし、それに堪えて生きる「堪忍」を父は小さな私に説いたのかと思っています。

平成20年12月

 いろんな事象をみせて、この年も終ろうとしています。中でも教育について黙過できない二人の発言がありました。「日教組が学力低下の原因」(中山前国交相)「クソ教育委員会」(橋下大阪府知事)です。
 いずれも学力テストに関係してのものですが、学力差を教員組合や教育委員会のせいとするのは的はずれで、別の狙いを感じます。
 其々、学力テストの目的は何かを明らかにして欲しい。過度な競争や地域間の序列化のためなら40年前に廃止した教訓はどうなったのか。
 市町村や地域のレッテル張りや単なるテスト対策なら開示の是非よりテストそのものを止めるべきでしょう。
 来年は要職者の「品格テスト」など如何ですか?

平成20年11月

 久しぶりに「痛快」なニュースでした。
 ノーベル物理学賞と化学賞を小林、益川、南部、下村の名誉教授が受賞されたことです。素粒子研究と蛍光たんぱく質の発見がその理由です。
 浅学な私には、詳しい理論を知る由もありませんが「痛快」なのは、4氏の理論が発表されてから30年も50年も過ぎての評価であることです。
 日本の社会は、企業に役立つ人材を育てるために智識を詰め込むことに熱心で直ぐに役立つ能力を求めます。
 本当は、どんな変化にも耐えていける長持ちする能力こそが本物で大事なのですが…
 4氏の受賞は、人材育成をお金に換算して憚らないこの国の来し方行く末への痛諫(つうかん)のように思えます。

平成20年10月

 猛暑と豪雨の今夏は、人間が地球に、或いは動植物に欲望の限りを尽くした報復を受けているのに違いありません。
 欲望の趣くままに生きれば悪となるのです。
 故に、釈尊は「欲望を慎め」(精進)と説き、老子は「足るを知る」ことを諭します。
 97年に締結された温室効果ガス5%の削減計画(京都議定書)は空文化され、洞爺湖サミットでも重要視されませんでした。
 文明と科学で自然を支配できると各国首脳は思っているのでしょうか。
 一連の異常気象は、人間を特権階級と思い込み地球を征服し、自然を破壊して尚、反省しない不遜への警鐘と気付かなければなりません。
 生きとし生けるものの共存こそが新しい文明理論です。

平成20年9月

 7月26日。タオルを首におにぎりを持って「スポーツチャレンジ08・三十人三十一脚」の応援に、で愛ドームへ出掛けました。
 今年からは北小も加わり、西小の2組と合せて3チームの参加で応援に力が入ります。競技の内容は二人三脚の大型版でゴール迄の時間を競う単純なものですが、何より子ども達の真剣に取組む姿や表情、先生との会話の様子を見ながら、他者より、一歩でも抜きんでる為の序列競争ではなく、共に楽しさを求めて力を合わせるという学校教育の真髄を見る思いで嬉しくなりました。
 彼らは、同じ目的をもって汗を流し、切磋琢磨することで学習活動や授業では習得できない喜びを味わったに違いありません。
 (社)JC岐阜の粋な企画にも感佩(かんぱい)です。

平成20年8月

 明治22年に北方町が誕生して120年。
 大勢のお客様を迎えて7月5日記念式典が行われました。その席で功労者特別表彰をさせていただきました。
 作家の故大岡昇平さんは「官の賞」を嫌い「反権威」の気骨稜々、色々な賞を辞退されたと聞いています。
 そんなことが気になって、今回の表彰は、学歴や肩書、天才肌や財産で該当者を判断せず、目立たないところでコツコツ努力され、社会に有益な働きをされた「努力の哲学」の実践者77名と19団体を、その数も対象も多くして「権威臭」を排しました。
 思えば120年の歴史の中で、どれだけ多くの先人が日日小さい行いながら心潤わせる働きをされたことか。
 そのお陰で、今、私達が在る。

平成20年7月

 パートで働く女性の嘆きに教育の大切さを思いました。
 雨の日、ビニール袋に入れて配達された新聞をそのまま上司の机上に置く、雑巾がけを一度も裏返したり濯ぐことなく拭き続けて終える、分別無視で何んでも塵箱に捨てる。新入社員の振舞いに只々驚く、立派な大学を出た人達なのに…と。
 人は誰もが幸せになりたい。そのためには、詰めこみ教育で相手を蹴落し、いい大学と立派な会社に入ることが大事と教える家庭と社会、それに追従する学校教育。
 つまり、智識だけは教えるが、人間はどう生きたらいいか、という最も大切な智慧を教えることを疎かにした結末が冒頭の現象でしょう。
 智識があっても智慧がなければ人間幸せとは言えません。

平成20年6月

 近頃、本のタイトルにやたら「品格」とつくのが気になります。藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーになったことの影響でありましょう。
 「女性のー」「男のー」「自分のー」「親のー」「企業のー」挙句、「飲んべぇのー」「腐女子のー」などと続くと著者や出版社の「品格」を疑いたくなります。
 売るためには、タイトルをパクっても、という拝金主義は如何にも見苦しい。一連の偽装事件や、数年前のホリエモン、村上世彰の「金がすべて…」の傲慢無礼とどこが違うのでしょうか。因みに「品格」とタイトルがつく本は百種類にも及ぶそうです。
 或いは、この程度のことに目くじら立てる、私の「品格」を恥ずべきでしょうか。

平成20年5月

 町内の女性団体などと事業者で「北方地域レジ袋有料化協議会」を立ち上げていただきました。
 この運動が実を結ぶと北方町だけでも年間169トンの二酸化炭素が削減でき、地球温暖化を防ぐ一助になります。国内で使われるレジ袋は300億枚、その原料となる石油は60万キロリットルにも達します。
 考えてみれば、自販機やコンビニ、スーパーや、ろくすっぽ客の来ない深夜の銀行の自動支払機まで24時間営業で電気を垂れ流す、この国の愚かな在り方は根本的に考え直さなければなりません。
 この地球「山川草木悉皆成仏」。
 科学の力を過信し、人間だけが便利さを求めて破壊し続ける蛮行は許されません。共生の思想が必要です。

平成20年4月

 新規採用者5名を迎えて、新年度がスタートしました。
 どの人も北方町を大切にし、ここを基盤に生活者と共に行政の改革をしていこうとの決意で北方町職員の道を選択してくれたのだと信じています。
 人間は、5つのタイプに評価されるといわれます。
1.いなくてはならない人
2.いた方がいい人
3.いなくてもいい人
4.いない方がいい人
5.いては困る人
 果たして、今年の新人たちはどのタイプなのでしょう。
 もちろん、人材育成の責任は町長である私にかかっています。しかし、最後の決めては職員一人ひとりの自覚です。
 自己啓発に励み、困難な仕事に果敢に取り組む行動力こそ北方町は求めているのです。

平成20年3月

 日本人の人口が1億2,614万5,000人(8月1日現在、推計)となりました。前年より5万5,000人の減だそうです。
 岐阜県の人口も国勢調査が始まった大正九年以来、初めて減少に転じました。
 嘱目(しょくもく)すべきは自然増加(出生―死亡)、社会増加(転入―転出)ともに下降線で若い人たちの減少が著しいことです。
 北方町の人口動態は微増傾向ですが、少子化による人口減少は避けることが出来ません。この現象は行政の努力だけでは限界があります。
 詰まる所、現実を直視して愁嘆することなく、日本古来の美学である「地域」の連携を強め、心の繋がりを回復して、お金や数値で測らない子育て支援が必要なのではないでしょうか。

平成20年2月

 政府の教育再生会議が三次にわたる報告を出しました。
 教育バウチャー導入は学校間の競争原理を誘って、保護者の財政力格差による教育差別が拡大しないか?ゆとり教育を見直し、土曜日授業の復活は、子供にとって楽しい学校となるのか?など「負」の部分を案じてしまうのは老婆心でしょうか。
 学校は、受験学力をつける場所ではなく、授業以外の行事や活動によって人としての成長を果たす役割を担っている重要な機関です。
 そのためにも、先生の目をもっと子供や地域にもっていくようにすることこそ必要なのではないでしょうか。
 朝、目覚めると、早く学校へ行きたいなと思える学校づくりこそが、教育再生への道だと思うのです。

平成20年1月

 北方町史によれば、その昔、商業地としての我が町は、この辺り唯一の市街地として岐阜・大垣につぐ繁昌ぶりを呈したとあります。
 現今の「商店街」は、流通と消費の変化の中で昔の活気を失い、「シャッター通り」と化した姿は痛々しい限りです。
 郊外にできた大型商業施設を見てハタと気付くのは、何のことはない屋内の商店街なのです。その発想を生かせないだろうか。
 或いは、卵1個、豆腐1丁でも配達するといった高齢者にやさしい商いは・・・と、下手な考えを巡らせてもみます。
 「人と人が顔を合わせ、声掛け、励まし合って暮らす」そんな商店街再生のエースの出現を今年も待ち続けるのです。煩悶しながら・・・。

平成19年12月

 公募によって立ち上げた「北方町政策審議会」が11月17日の会議で本年度の任務を終えました。
 新しい住民参加の方法によって、人と人との交流ができ、ネットワークが構築できたことは従来、ややもすると傍観的であった住民意識が「自分たちの町は、自分たちで良くする」という意識に変わった表れだと思います。
 提案された貴重な意見を1つでも多く具体化して、住民のみなさんに還元していけば、住民自らが議論の末に政策を選択するという新しい自治体運営が可能になると胸躍らせています。献身的にお骨折りいただいた委員のみなさんに感謝しつつ、来年度の審議会が更に異彩を放って、この町に「参加民主主義」が定着することを願っています。

平成19年11月

 何という了見なのでしょうか。老舗の「赤福餅」が製造日や原材料を偽っていたというニュースに、権謀術数(けんぼうじゅっすう)に猛た姦悪(かんあく)な悪徳商人の姿をみました。
 それにしても、「伊藤謹」なる会社の国産米と輸入米のすりかえや、「ミートホープ」の偽装ミンチ事件など枚挙にいとまのないふらちな所業の数々は、自利の塊と化した最近の商法が「道徳心」を失った現代日本人の末路のようで不憫(ふびん)です。
 人間に何故道徳が必要か?梅原猛先生によれば、人間は性欲、所有欲、名誉欲、征服欲(権力欲)が動物より強い。故に、放っておくと恥知らずになる。従って、道徳が必要と説かれます。「利他」の心がけを積みたいものです。

平成19年10月

 9月の連休の1日。京都国立博物館で「大覚寺の名宝」展を、滋賀県立近代美術館で「円仁とその名宝」展を梯子してきました。
 いずれの会場も仏像好きの私を満足させる正に至福の時間でした。
 そんな感動に浸る中、もう一つの感嘆がありました。滋賀県立近代美術館の立つ丘陵地一帯の「びわこ文化公園」に図書館、埋蔵文化センター、子供広場、催物広場等を併設。文化ゾーンとし、周辺には立命館、龍谷、医科大学に高校を配した都市公園の町づくりは白眉(はくび)と言って過褒(かほう)ではありません。
 これからの公共事業は力点をどこにおくか、その中身と質を問題にして取組んでいくことの大切さを知りました。

平成19年9月

 この夏、蝉時雨の中、実家の墓前で秋川雅史さんのヒット曲「千の風になって」の詞を思いました。♪私は墓の中で眠ってなんかいません。♪夜は星になって、あなたを見守る・・・と。
 そういえば、日本の神道や仏教でも人間は死んだら魂(たましい)が肉体を離れ、その魂はしばらく屋根や近くの山に居て、やがて、この世とあの世を旅しながら私達を見守ってくれると教えます。
 私の父は82歳、母は47歳で他界しましたが、64年余も病気らしい患いもせずに今の私があるのは、両親の魂が見守ってくれているからでありましょう。
 お盆がめぐりくる度に父母へ「ありがとう」と”眠ってなんかいない”はずの墓に手を合わせます。

平成19年8月

 7月のある日、思い立って地域活動支援センター「もちの木」を訪問しました。色々な障害のある人たちが一生懸命に紙袋の紐通しの作業に精をだしている最中でした。
 私たちは、ともすると障害者を特別なものと考えがちですが、ちょっと考えてみれば、人間は誰だって赤ん坊の時は自分で何も出来ない心身障害者で、人生最後の時も必ず人の世話を受ける障害者です。つまり、赤ん坊、若者、年寄りがいる、病人も健康人も障害者も共にいる。それが当たり前の姿であって、異常でも特殊でもないお互い存在なのです。
 こういう形の社会、これが本当に生きるに値する社会ではないかと思います。「共に生きる」を教わった時間でした。

平成19年7月

   「住民参加の草の根民主主義」の町づくりを目指して、北方町政策審議会が6月16日勇躍スタートしました。
 30人からの人が応募してくれるだろうか。今までにない手法が理解されるだろうかと心配しましたが案ずるより生むが易し=A定数を超える人たちに審議会委員への申し込みをいただくことができました。
 手探りながら議論も白熱的で委員のみなさんの町へ寄せる熱い思いを感じました。
 この日を迎えるために忙しい仕事の合間を縫って汗してくれた若い職員のみなさんへの感謝も忘れません。
 住民と行政がパートナーになって、新しい行政モデルが誕生することでありましょう。
 北方町のあり方が大きく変化する予感がします。

平成19年6月

  教育への議論がかまびすしい昨今です。五月十一日から十三日に開かれた全国首長連携交流会(東京)でも各首長が熱心に教育行政への思いを発言されました。和歌山県高野山町長は、義務教育は国や自治体の義務だとの誤解が保護者にある。故に給食費も払わず権利ばかり主張する国民が増えると指摘のうえ、宗教的情操教育が必要と熱弁されました。
 義務教育とは、教育を受ける子どもの権利があって、教育を受けさせる義務が大人にあると受け止めるのが正しい解釈でありましょう。教育権と教育責任は親にあるとの認識が大人たちに欠落しているのではないでしょうか。
 併せて「仏教的道徳教育」を公教育に取り入れる時期(とき)ではないかとも思います。

平成19年5月

  熊本市が「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の設置を認めました。
 何ともやるせない思いです。出産や育児に悩む人がいることはわかりますが、行政が赤ちゃんを捨てる行為の手助けをする卒然さに、日本人の道徳心もここまで麻痺したのかと驚きます。「道徳の根源は親心」とは、哲学者梅原猛先生の弁ですが、子どもを思う(愛する)心すら私たちは失ったのでしょうか。
 行政がするべき手助けは、児童相談所や保健センター等を見直して、子育ての応援をすることこそ緊急の課題なのに、あろうことか子捨て援助に走るという酷薄さは誠に忍びない。それとも、こう考えること自体がもはや、時代に合わなくなったのでしょうか。

平成19年4月

 私は、町長に就任以来、幹部職員に部下の中から次の時代のリーダーを育てることを責務の一つと心して欲しいとお願いしています。部下の新しい発想と技術を汲みあげ、職場を活性化することが幹部職員の重要な仕事だと。
 一般職員には、上の人の下請け仕事に甘んじることなく積極的に新しい理論にいどみ、技術を磨き、施策を練って質の高い補佐機能を果たして欲しいと。
 こうした相呼応する形でチームを組んでいき、地力をつけてもらいたいとの期待からです。困難な仕事を後にまわさず、果敢に取り組む行動力こそ「北方」が輝きを放つ源になるからです。
 「小さくてもキラリと光る町」づくりはこれからです。


リンクと著作権個人情報保護指針バリアフリーポリシー

Copyright 2006 KITAGATA-TOWN,all right Reserved.