北方陣屋跡☆
番号 22 指定別 種目 史跡 種別 史跡
名称 北方陣屋跡 【写真】大井神社より南を見る
ふりがな きたがたじんやあと
員数 1箇所
時代 1箇所
年代 寛文9年
西暦 1669年
作者 戸田孫七郎光賢
構造・形式
寸法・重量
面積
敷地は大井神社南天王川沿いの一帯 【位置図】
指定番号 北史第5号
指定年月日 昭和30年9月30日
所在地 岐阜県本巣郡北方町北方260~274
所有者  
所有者住所  
管理者  
特筆事項 標柱 〆切門跡H=1.18m10cm角(ステンレス製) 標柱 奉行屋敷・米蔵・代官屋敷(3本)・(化成舎跡)以上すべて    H=1.05m  5cm角(ステンレス製
解説 修理等の履歴
北方旗本五千石戸田孫七郎家は、初代・光賢が寛文八年(1668)分知をうけてから、七代・光遠が明治二年(1869)に版籍奉還をするまでこの地に陣屋を置いて、北方、春近、郡府、石原、福田地、三橋、仏生寺、加茂の八ヵ村を治めていた。 大井神社南天王川沿いの一帯は陣屋の跡地で、役所を中心に、米庫、撃剣道場、化成庠(学問所)などがあって、その周囲には奉行屋敷、代官屋敷などの家臣の屋敷が置かれ、5千石の陣屋に相応しい堂々たるものであったといわれる。
年月日 内容
平成17年 標柱(ステンレス製)設置
平成23年2月 標柱(ステンレス製)北〆切門設置
   
   
   
   
   
   
   
説明板
有無・設置者
材質等 鉄製
老朽度等 屋根一部塗装剥げている。
【写真1】説明版
【写真2】説明版アップ
【写真3】標柱(南〆切門跡)
【写真4】標柱(北〆切門跡)
【写真5】標柱(奉行屋敷跡)
【写真6】標柱(米蔵跡)
【写真7】標柱(代官屋敷跡)
【写真8】標柱(代官屋敷跡・仮成舎方向)
【写真9】標柱(代官屋敷跡)
慶応年間の北方陣屋跡地図