北方城跡
- 番号
- 20
- 指定別
- 県
- 種目
- 史跡
- 種別
- 重要文化財
名称 | 北方城跡 |
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ふりがな | きたがたじょうあと |
員数 | 1箇所 |
時代 | 安土桃山 |
年代 | 応仁 |
西暦 | |
作者 | |
構造・形式 寸法・重量 面積 |
面積 140.8m2 |
指定番号 | 岐史第117号 |
指定年月日 | 昭和43年11月11日 |
所在地 | 岐阜県本巣郡北方町北方249 |
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所有者 | 北方町 |
所有者住所 | 岐阜県本巣郡北方町長谷川1-1 |
管理者 | 北方町 |
特筆事項 |
石柱 H=2.1m 26cm角(県) 石碑 H=1.2m 幅0.8m 厚13cm(町) 家系碑 H=1.6m 幅1.0m厚12cm(町・協) 平成13年6月28日に大野しげ子氏より寄付される。 |
解説 |
北方城は、伊賀太郎左衛門光就が築城し、居城とした。光就の曾孫安東伊賀守守就は斎藤氏の滅亡後、織田信長につかえ、元亀元年(1570年)6月の姉川の合戦、翌年の長嶋一向一揆討伐に参戦して大功をたてた。 天正8年(1580年)嫡子河渡城主尚就が甲斐武田氏と内通したという嫌疑で信長の勘気を受けたので、守就は北方城を出て武儀郡谷口村(現関市)に蟄居した。信長は守就の故領を収めて稲葉一鉄に預けた。 天正10年6月2日織田信長が、京都本能寺で明智光秀に害せられると守就は一族旧臣を集め北方城に拠ったが、稲葉一鉄・貞道父子に攻められて落城した。(これを、北方合戦という。) 地籍図中の大井神社東側を西北の隅として、水路で囲まれた東西160メートル、南北340メートルの部分が北方城跡と推定される。北方城はいくつもの屋敷地を含みながら堀で周囲を囲まれていたと考えられる。城跡の内部は、更にいくつもの水路によって区分されており、防御性を高める役割を果たしたと推定される。 現在の史跡は、本丸の跡の一部であると考えられている。 |
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修理等の履歴 | |
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年月日 | 内容 |
昭和48年3月 | 石積み改修 |
平成14年10月 | 伐採および外周整備 |
平成15年9月 | 土留工及び敷地内整備 |
平成23年3月 | 説明板及び敷地内整備 |
平成24年1月 | 説明版一部修復工事 |
説明板 | |
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有無・設置者 | 有 町 |
材質等 | コンクリート |
老朽度等 | 良好 |